上念司との「レイシスト・フレンド」裁判、一審判決の問題点〜小さなSLAP訴訟が言論の自由を揺るがし、反レイシズム運動を大きく後退させかねない裁判になった #1

経済評論家の上念司が私を訴えた名誉毀損訴訟で、2022年11月15日、東京地裁の藤澤裕介裁判長は私に対して、50万円の損害賠償を支払えとの判決を下しました。

この裁判は上念司が2020年1月に渋谷クラブクアトロで開催予定だった音楽祭が、出演予定のスガダイローのグループが出演キャンセルしたことから、中止となったことに関連して、それに関わるツイートをした高橋健太郎を訴えたものです。原告は150万円の損害賠償、当該ツイートの削除、謝罪広告の掲載などを求めました。
原告側の主張は以下のようなものになります。

1 被告がミュージシャン 藤原大輔を脅迫し、出演をキャンセルさせて、原告の楽祭を中止に追い込んだ
2 被告はスペシャルAKAの「Raicist Friend」の歌詞を引用して、原告を「レイシスト」と名誉毀損した
3 被告は「息を吐くようにデマを吐く上念司」とツイートし、原告を名誉毀損した
4 被告は原告を「レイシスト」と評するCRACアカウントのツイートをRTして、名誉毀損した

1の主張は一審判決で退けられました。私がミュージシャンを脅迫して、出演キャンセルに追い込んだという原告の主張は、リーダーであるスガダイロー氏、グループの一員だった藤原大輔、マネージャーの中村氏の公の発言においても、否定されていることです。

私が電話で話した藤原大輔はいち出演者に過ぎません。私はリーダーのスガダイロー氏とは面識もなく、出演キャンセルに導くような影響力も持っていません。しかし、私がスガダイロー氏やマネージャーの中村氏を動かしたと主張するために、原告側は私について、「音楽プロデューサーとして主にジャズ業界で活躍する人物」「フリージャズ界における実力者」であるなどと位置づけました。これには思わず、笑いました。私はジャズ・アルバムのライナーノーツすら、ほとんど書いたことがない人間なのですから。

実際には、私と藤原大輔が電話で話す前から、出演はキャンセルの方向に進んでいました。12月3日の夜から、私の知人でもある本物のジャズ評論家がマネージャー、中村氏に働きかけ、12月4日の午前10時頃には中村氏がキャンセルするとジャズ評論家に伝えています。このやりとりは、ジャズ評論家から証拠として提供されました。
私が藤原大輔と話したのは同日の午後2時頃ですが、午後4時頃にはキャンセルの報が流れています。
 
私がミュージシャンを脅迫して、出演をキャンセルさせたという事実はないと認定されたことに基づき、一審判決では原告側の3の主張も退けられました。「息を吐くようにデマを吐く上念司」というツイートは、私がミュージシャンを脅迫した、という上念司のデマに対抗する言論として、書かれたものです。そこではむしろ、デマを流した上念司の側が私の名誉を毀損したと考えられます。
判決文にも「本件音楽祭に出演するミュージシャンが被告の脅迫を受けて出演辞退に追い込まれたと事実に反する説明を原告が繰り返し行った事実は、その重要な部分について真実であると認められる」とあります。
 
4のCRACアカウントのツイートをRTしたことについても、原告側の主張は認められませんでした。「原告をレイシストであると評価する第三者が存在する事実それ自体を示す意図の下、本件元ツイートをそれぞれリツイートしたものと理解できるから、本件各リツイートをもって 原告がレイシストである旨を指摘したものと認めることはできない」との判決です。
ただし、この判決文には一部、事実誤認が認められます。

「原告をレイシストであると評価する第三者が存在する事実それ自体を示す意図」というのは、その通りですが、「本件各リツイートは、原告のツイートに関連付けされてはいないものの」とあるのは間違いです。私が行ったのはCRACアカウントが上念司のツイートを引用リツイートしたものの純粋リツイートです。ゆえに、原告のツイートとそれに呼応するCRACアカウントの引用ツイートの両方が読者には提示されています。

上念司は私に対して、数回に渡って、レイシストと認定する根拠を示せとするツイートを投げました。私はそれを無視しました。というのは、後に述べるように、そもそも私は彼をレイシストと認定するようツイートをしていないからです。
途中からは私を上念司をミュートしてしまいました。ところが、その私宛の上念司のツイートにCRACアカウントが反応し、引用RTをしたのです。私はCRACアカウント(中の人は野間易通でした)をフォローしていたので、彼が引用RTすると、上念司をミュートしている私のタイムラインにも、それが表示されます。私が答えない上念司のツイートに、いちいちCRACアカウントがコメントしている。このいささか滑稽な状況をそのまま私のフォロワーにも見せるために、私はそれらを純粋RTしたのです。純粋RTをしないと、上念司の私宛のツイートにCRACアカウントがコメントを加えていることが見えませんので。

たぶん、裁判官はツイッターの構造をよく理解しておらず、引用RTの純粋RTの場合、引用先(この場合は上念司の私宛ツイート)も表示されることがイメージできなかったのでしょう。CRACアカウントはその後、凍結されてしまったため、原告側が提出した証拠も「え? 上念さんレイシストじゃなかったの?」「え、上念司がレイシストじゃなかったって? えらいこっちゃー!」といったCRACアカウントのツイートのテキストのみでした。実際には、その下には上念司の私宛ツイートが表示されていたのですが、画像で示されなかったので、「原告のツイートに関連付けされてはいない」と裁判官は考えてしまったようです。
 
さて、原告の主張の1、3、4は判決で退けられました。しかし、2については、私の原告に対する名誉毀損が認められました。私が本件を「レイシスト・フレンド裁判」と呼んでいるのもそれゆえです。
ここで名誉毀損が認められた私の一連のツイートを示します。

これらのツイートに名誉毀損が認められたのですが、読んだだけで、私が上念司という人物をレイシストと断定した、と考えられるでしょうか?
上念司という名前も出てきませんし、周囲の状況を知らない人が読めば、何の話をしているかすら、分からないでしょう。

判決はそれに対して、「一般の読者の普通の注意と読み方を基準とすれば、本件投稿1の記載は、被告が、原告は人種差別主義者であり、ジャズミュージシャンが関わりを持つ相手として好ましくない旨の意見を表明したものと認められる」としています。
その「普通の注意と読み方」を成立させるには、周辺情報が必要となります。判決ではそれは以下の二点とされます。
ひとつは「本件音楽祭の開催告知の後、 その主催者である原告を「差別やデマをばら撒いてる人」「レイシスト上念」などと呼称する匿名のアカウントにより、本件音楽祭の出演アーティストに対する批判が寄せられていた」ことです。上念司をそのように評する人達の存在が先にあったということですね。
もうひとつが私が言及した「Racist Friend」という曲の歌詞内容です。

ここでそのスペシャルAKAの「Racist Friend」を紹介しておきましょう。

この「Racist Friend」はスペシャルAKAの1984年の『In The Studio』というアルバムに収録されていました。スペシャルAKAは70年代終わりのイギリスのスカ・リバイバル〜ツー・トーン・ムーヴメントの中心だったスペシャルズから発展したものです。代表曲は同じアルバムに収められた「Free Nelson Mandela」ですが、「Racist Friend」もイギリスにおける反レイシズム運動を象徴する1曲です。

皮肉なことに、そんな曲が私の一審敗訴の理由になってしまいました。判決文には、同曲の歌詞から二ヶ所が引用されています。

And if your friends are racists don't pretend to be my friend
そしてもしあなたの友達 が人種差別主義者 (レイシスト) なら私の友達というふりをしないで

So if you have a racist friend, Now is the time, now is the time for our friendship to end
そう、もしあなたに人種差別主義者の友達がいるなら、 今がそのときだよ、 私たちの友達関係が終わるときだよ

訳文は原告側が提出したものですが、概ね、正しい訳です。
しかし、「Raicist Friend」の歌詞を読むことで、私が上念司を人種差別主義者と評した、と解釈できるとした裁判官は、曲のメッセージを誤読しているとしか思えません。
「Raicist Friend」はまず、こう歌い始められます。

If you have a racist friend Now is the time, now is the time for your friendship to end

私は友人のあなたに、レイシストとの友情は終わりにすべきだと歌い始めるのです。
判決文に引用された歌詞は曲の最後にあるものです。そこでは私は友人のあなたに、レイシストとの友情を保つなら、私達の友情は終わりだと告げます。
登場人物は三人。私とあなたとあなたのレイシスト・フレンドです。これはレイシズムへの向き合い方を厳しく友人にも求める歌です。アイツとの友情を取るか、私との友情を取るか。言ってみれば、「友情の三角関係」の歌です。

しかし、私と藤原大輔と上念司という人物の間に、そんな「友情の三角関係」が生まれることはありえません。上念司はそもそも友人ではないからです。
もし、私がスガダイロー氏と友人であり、電話で話したのならば、そこには「友情の三角関係」が現出したかもしれません。当時、ツイッター上にはそう誤解した人がいました。あるいは、上念司は私がスガダイロー氏と話したと誤解している、と判断した人達もいました。

私がスガダイロー氏と友人だったなら、上念司を加えた「友情の三角関係」は成り立ちますが、藤原大輔は上念司の名前も知らず、それで私に質問の電話をしてきたのです。当時、私はこんなツイートもしています。

私は最初に「身近な人達を注意深く、見極めなければいけなくなっている」と書いています。私と藤原大輔が話したのは、あくまでも「身近な人達」の話なのです。それは具体的にいえば、周囲のミュージシャンでした。
私も彼も嫌韓嫌中に傾いたり、陰謀論に熱中したりするミュージシャンを知っていました。音楽的には一緒に何かできる人達です。でも、ミュージシャンはただ音楽のことを考えていればいいのか?
どこで演奏するか? 誰と演奏するか? 音楽のため、お金のために、どこにでも行く、誰とでも演るというスタンスもありうるだろうけれど、場合によっては、それで私との友人関係は終わりになるかもしれない。そういう話を私はスペシャルAKAの「Racist Friend」という曲を引き合いに出して、したのです。

この会話の時点では、スガダイロー・グループが音楽祭に出演するかどうかはまだ分からない状態でした。グループのいちメンバーでしかない藤原大輔が判断できるのは、個人として出演をキャンセルするかどうか、でした。
その意味では、私、藤原大輔、スガダイロー氏の三人の間にならば、「友情の三角関係」は成り立ちうるものでした。スガダイロー氏との友情を取るか、私との友情を取るか。スガダイロー氏の思想信条や言動行動によっては、そういうことが起こりうる可能性を私は示唆したとも言えます。
しかし、「友情」の話の中に、上念司という人物が入り込むことはありえません。

もちろん、私と藤原大輔の会話は私達の記憶の中にしかありませんし、私のツイートを読者がどう読むかは、それとは別問題です。しかし、私のもともとのツイート群は、一定の情報収集なしには、その意味するところが解釈できないものです。
判決文は「Racist Friend」という曲の歌詞をふまえて読むことで、「一般の読者の普通の注意と読み方」が構成されるとしていますが、「Friendship」という言葉が繰り返し使われる歌詞の内容を理解するならば、それが「友情」の歌であることは明らかです。

裁判官は「本件音楽祭の開催告知の後、 その主催者である原告を「差別やデマをばら撒いてる人」「レイシスト上念」などと呼称する匿名のアカウントにより、本件音楽祭の出演アーティストに対する批判が寄せられていた」という周辺状況を先入観として持つがゆえに、「Racist Friend」という曲の歌詞内容を十分にふまえることなく、私のツイートも同様の主旨のものであると考えてしまったようです。

たぶん、私が上念司という人物はレイシストであると述べていた方が、裁判はその論評の公正さを争うシンプルなものになり、人々の理解も得やすいものだったのではないかと思います。
でも、私にとっての真実は、私のツイートは私と藤原大輔の電話での会話をそのまま描写したものであり、そこでは上念司という人物の話はしていないのです。

裁判官がそれを「被告が、原告は人種差別主義者であり、ジャズミュージシャンが関わりを持つ相手として好ましくない旨の意見を表明したものと認められる」と判断したために、裁判は次のレベルの判断を行うものになりました。「仮に」私が上念司という人物を「レイシスト」と評したとして、そこに違法性が認められるかどうかです。
これを争うことは「公正な論評」、ひいては「言論の自由」を争うことにことになります。
(続きます)

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