「心のふれあいと音楽」

イスラム教の開祖ムハンマドが、あるとき信者に「天国は母の足元にある」と言ったそうです。

一体どういう意味だろう?と長年不思議に思っていたのですが、この間、あるお医者さんが「どんな家庭にも地獄はある…」とつぶやいたという話を聴いて、なんとなく分かった気がしました。

家庭という、お互いに心の深い部分がふれあう場においては、愛情も憎しみも心の奥まで届きますので、その喜びや苦しみは天国や地獄のようなものになります。

従って、この世にいるうちに天国や地獄とはどのようなものかを知りたかったら、家庭内を観察すればよい、ということではないでしょうか?

(さらに妄想を逞しくすると、肉体という殻を失った心同士が直にふれあうならば、家庭内でのそれよりも、喜びや苦しみは大きいものとなる思われます。

実は、死後の天国の喜びや地獄の苦しみというのも、天使や悪魔によって与えられるのではなく、心同士のふれあいによって生じるのかもしれません。)

音楽においても「心の深い部分がふれあった」と感じることがあります。

それは、音楽が私達が言葉を覚える前から使っているコミュニケーションの方法、すなわち、言葉の意味ではなく、音そのものの高さや大きさ、長さ、あるいはそれらの変化等で気持ちを伝える非言語的コミュニケーションの一種であり、こういった非言語的コミュニケーションは、人間関係が深まれば深まるほど、つまり、心のより深い部分がふれあうようになればなるほど増えるものだからです。

(非言語コミュニケーションには上記のような音によるもの以外に、表情やしぐさ等によるものもありますが、音楽の演奏活動において身体的な動きもパフォーマンスとして重要ですから、そういった点でも音楽は非言語コミュニーションによる芸術と言えます。)

長い間一緒にいて信頼関係が深まった人とは「言葉はいらない」という状態になりますよね。非言語的コミュニケーションによって、たくさんの情報が伝わるので、意味のある言葉の必要性が下がるからです。

(まぁもっとも、それによって誤解や勘違いが生じることも多々あるのですが…)

音楽によって、天国や地獄がどのようなものか解るかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?