竹下健太

音楽大学の心理学講師。博士号とキャリアコンサルタントの資格持ってます。どうぞよろしくお…

竹下健太

音楽大学の心理学講師。博士号とキャリアコンサルタントの資格持ってます。どうぞよろしくお願いいたします。

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「哲学と音楽」

対象として認識され得るものは消去や交換が想定可能であることから「私」ではないとすると、「私」とは対象を認識する主体であって、認識される対象になり得ないもの、と定義できます。 例えば、私の心身が滅んだあとの世界を想像すると、その想像の中には、私の心身が存在しない世界を観ている「私」という認識する主体がそこにいます。 さらに、私がもとからいなかった世界を想像した場合でも、そこには「私」という認識する主体がいます。 あるいは、私の心身全て、すなわち記憶や思考の仕方等も含めた対

    • 「心のふれあいと音楽」

      イスラム教の開祖ムハンマドが、あるとき信者に「天国は母の足元にある」と言ったそうです。 一体どういう意味だろう?と長年不思議に思っていたのですが、この間、あるお医者さんが「どんな家庭にも地獄はある…」とつぶやいたという話を聴いて、なんとなく分かった気がしました。 家庭という、お互いに心の深い部分がふれあう場においては、愛情も憎しみも心の奥まで届きますので、その喜びや苦しみは天国や地獄のようなものになります。 従って、この世にいるうちに天国や地獄とはどのようなものかを知り

      • 観劇すると心の中の大切な「誰か」と再会できるかもしれません

        「自分の演技が『真実』と一致しているかどうかは身体感覚で分かります。たとえ自分のこの身体が経験したことのないことや経験し得ないこと、例えば『死』や『動物』の演技、あるいは現在には存在しない『空想上の生物』の演技であっても、それが『真実』と一致したならば、その演技は正しいという身体感覚があります。」と、ある俳優さんが言ってました。 これはおそらく、長期間の練習や学習、様々な経験や観察等による膨大なインプットを材料として心の中に構築された「真実」と、自分が今している表現(アウト

        • 同じ出来事でも「どう解釈したか」によって傷つくこともあれば、癒されることもあるということを利用した幸せになる方法

          昭和の子ども達が、教育的指導と称した暴力を受けることがよくあったにもかかわらず、ほとんどが何も問題なく育っているのは、人は暴力そのものよりも、その暴力が意味するものによって傷つくからです(もちろん暴力の程度にもよりますが…)。 例えば、自分で希望して参加した格闘技の試合で殴られたり蹴られたりしても、ほとんどトラウマになることはありませんが、ちょっと押されたりしただけでも、それが信頼している養育者(例えば母親)からの存在そのものの否定(例えば「あなたは要らない子」という意味)

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        「哲学と音楽」

          Philosophy and Music

          If I assume that something that can be recognized as an object is not "I" because it can be erased or exchanged, then "I" am the subject who recognizes objects, and cannot be an object to be recognized. For example, when I imagine a world

          Philosophy and Music

          「『本当』の自分を表現することを追求すると、最後は意味不明の言葉を叫ぶしかなくなる」ということと音楽

          心理学に影響を与えた哲学の一つに社会構成主義というものがあります。 これは「私達が経験している『現実』は、この社会によって作られたものであり、実体を持たないのではないか?」と言う考え方です。 これを我々が『現実に経験している』と思っている感情を例にして考えてみます。 人間が動物達の行動を観察している状況を想像してください。 動物達は敵に遭遇したときに「Fight or Flight (闘争あるいは逃走)反応」という身体反応を示します。これは、戦う事になった場合にも逃げ

          「『本当』の自分を表現することを追求すると、最後は意味不明の言葉を叫ぶしかなくなる」ということと音楽

          「『おばけなんてないさ』の本当の怖さ」

          誰でも一度は歌ったことのある『おばけなんてないさ』ですが、この曲で表現されているのは、 ①おばけ(怖がるべきもの)の存在を否定して安心しようとする心理   例;歌詞の『おばけなんてないさ おばけなんてうそさ』 ②おばけ(怖がるべきもの)の存在を認めたとしても、それを実際よりも怖くないとみなすことで安心しようとする心理   例;歌詞の『ともだちになろう』(おばけを友だちになれる存在とみなすことで、安心しようとしている) です。 そういった心理がどのように生まれるか以下に

          「『おばけなんてないさ』の本当の怖さ」

          『自分自身を大切にすると同時に、自分以外も自分と同じように大切にする』ための芸術活動

          人工知能やロボットがどんどん発達し、あたかも自我があるかのようなふるまいをするのを観察すると、ほとんどの人が自然に抱く疑問に 『どうなったら「自我がある」と分かるのだろう?』 というものがあります。 しかしながら、自我があるかどうかは、本人(本ロボット?)にしか分かりません。他者には絶対に確定不可能です。 自我があるようにみえる人工知能やロボットをどれほど細かく分析しても、自我を持たない物体が複雑に反応し合っているだけで「自我がある」という証拠は得られません。 これ

          『自分自身を大切にすると同時に、自分以外も自分と同じように大切にする』ための芸術活動

          芸術は、「私」と「今」と「この世界全て」のかけがえのなさを教えてくれます。

          仏教では最初の数百年間、釈尊像は創られておらず、その原因は諸説あるものの解明されてないそうです(田辺 2010)。 私は仏像や仏画を観ると心が安まりますので「なんでだろうなぁ?」と思っていたのですが、最近、『人工知能に、ある人のデータを大量に読み込ませることで、その人と同じ言動をさせる』という技術の記事を見て、 「これは、現代の偶像と言えるのではないだろうか?そしてこの現代の偶像は、人間が複製可能であることを示すことで、個々の人間のかけがえのなさの否定につながるのではない

          芸術は、「私」と「今」と「この世界全て」のかけがえのなさを教えてくれます。

          「音楽がこれからの社会で必要となる哲学的理由」

          私が大学生の頃、哲学の授業で 『「本当の自分」や、自分自身のかけがえのなさは、他者との交わりの中にある。』 というようなことを習い、 『そうかなぁ?他者の影響を強く受けたら、自分を見失ってしまうんじゃないかな?』と思っていたんですが、この間、音大生と話しているときに 「例えば百人で合唱や合奏をしていたとしても、その中の一人は百分の一ではないんです。一人抜けるだけで全体の印象が全く変わってしまいますから、一人は全体であり、その意味ではソロの演奏と変わらないんです。演奏を

          「音楽がこれからの社会で必要となる哲学的理由」

          「人生で何を一番大切にするかは、その人の自由」ということと音楽

          ハンセンというキャリア研究家によると、人生には四つの大事な要素があります。 Labor (働くことによって、この世界をより良いものにする喜び) Love(家族や仲間と信頼し合い支え合う喜び) Leisure(余暇等で自分が楽しいと思うことを行う喜び) Learning(学ぶことや自己鍛錬で、理想の自分に近づく喜び) 四つとも頭文字が「L」なので、これらを「ハンセンの四つのL」と言ったりします。 ハンセンは、この四つのうちどれかをおろそかにすると、ほかの要素もうまく

          「人生で何を一番大切にするかは、その人の自由」ということと音楽

          「人生はドレミファソラシドの八段階」

          エリクソンという心理学者が、 『人の一生には八個の課題があり、それらは、お互いに関連し合いながら、何度も何度も私達の前に現れる。また、そのうちの一つが特に意識される時期がそれぞれの課題にあり、それによって人生を八個の段階に分けることができる』 と述べています。 (※ここから先に書く年齢は目安です。文化差や個人差が大きいので、当てはまらない人もたくさんいます) Ⅰ、人生最初の一年くらいは 『私はこんなに無力な存在なのに、愛され大事にされている』と感じる中で 『自分は

          「人生はドレミファソラシドの八段階」

          全ての命や心は繰り返し受け継がれ、永遠に続いていく

          ネットを見てたら『身体的に死ぬときが一度目の死であり、その人のことを覚えている人が全ていなくなるのが、二度目の死である。』という考えに出会いました。 しかし、心理学的に考えると、二度目の死は来ませんし、そもそも人は死にません。身体が失われた後も『生き』続けます。 人は、出会った人、知り合った人と、心や気持ちの一部を交換しながら生きています。 例えば、自分にとって大事な人の好きなものは、自分も好きになったり、その人が大切にしているものは、自分にとっても大切になったりします

          全ての命や心は繰り返し受け継がれ、永遠に続いていく

          「思い出ソムリエと音楽」

          ソムリエがお客様に合わせてワインを選ぶように、無意識の領域で働いている記憶の管理係は『今、直面している悩みの解決のヒントとなるのは、この思い出だろう』と選び出したものを、心の中の、私達が意識できる領域にそっと差し出したりします。 従って、ふとよみがえってきた記憶「あれ?今何故こんな子供の頃のこと思い出したんだろう…?」と感じるような思い出には、今直面している問題を解決するヒントが含まれていることがあります。 また、『まだはっきり意識されていないけれども問題が生じている』と

          「思い出ソムリエと音楽」

          ほとんどの人が、とても面白い話のネタを持っているが、本人達はそれらの面白さに気付かないことについて

          人間の脳は、情報を得ることそのものを「快」と捉えるように設計されています。 そうなった理由は、より原始的な生物だったころ「食べ物や仲間を見つけること、危険や敵から逃げること」に役立った情報入力のみを「快」と捉えるように脳を設計しておいたところ、「その時は役に立たなかったけど、実は大事な情報だった」という情報を逃してしまうことがあったために、進化の過程で設計しなおしたからです。 そんなわけで、基本的に人間の脳は新しい情報であれば、なんであれ入力されると「快」と感じるように出

          ほとんどの人が、とても面白い話のネタを持っているが、本人達はそれらの面白さに気付かないことについて

          『音楽が犯罪抑止につながる理由』

          ニュースを観ていると、ある重大な刑事事件の容疑者が『馬鹿にされたと思った』からやったと述べていました。 『なぜ、馬鹿にされたと思ったくらいで、あんなにひどいことが出来るのか?理解できない』 と一般的には思われるような事件でしたが、心理学的には割と簡単に説明がつきます(まぁこの説明がこの容疑者に当てはまらない可能性もありますが…)。 乳児や幼児は、育ててくれる人に愛されなければ生きていけません。 育ててくれる人が、言葉がまだわからない乳児や幼児に、優しい口調やしぐさ、身

          『音楽が犯罪抑止につながる理由』