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行動力があるのにうまくいかない

どうでもいい正解を愛するよりも、面白そうなフェイクを愛せよ。

昨年末のM-1グランプリは、「令和ロマン」というコンビが優勝しました。
僕もリアルタイムで見ていて、たくさん笑わせてもらいました。

彼らは共に慶應義塾大学のお笑いサークル出身だそうで、もしかしたら高度に練られた頭の良いネタだったのかもしれません。

令和ロマンのボケ担当の髙比良くるまさんは、優勝後のインタビューにこのように答えていました。

僕は全部の決断から逃げてきているんですけど、誰よりも逃げ足が早いんです。責任とかすべて逃げまくってるんです。

でも、漫才から逃げずに済んだのは、楽だったからです。一番走りやすい道でした。

「努力してるね」って周りに言われて、初めて努力なんだって気づきました。

M-1グランプリ アナザーストーリーより

僕はこのインタビューを聞いた時、とても震えました。

ネット上では、彼らが高学歴でかつこのような大会で良い成績を残したことに対し、人生勝ち組だと述べている声が散見されました。
しかし、この言葉を聞いて、少なくとも髙比良さんは苦しい時期を乗り越えた、ということがよく伝わりました。

髙比良さんがしてきたことはシンプルです。
いろいろと試して、その中で自分に合うものを続けてみたら成功した
理論としては全く新鮮ではないし、よく聞く成功論です。

しかし、髙比良さんの言葉には、僕の心にぐさっと刺さるものがありました。
なぜなのでしょう?

それは実際に悩み、行動した人の言葉であるから。

たとえば、いわゆるビジネス書というものは、感情が除外された理論的なものが是とされます。
だから、ビジネスの文脈でこの事実を知ったところで、それはただの知識でしかありません。

しかし、生身の人間の熱い思いを聞くと、その事実は途端に血が通い始めます。
そして、深い理解として自分の心に入っていく感覚があります。

慶應を出てお笑いなんて。(注:髙比良さんはお笑いのために大学を中退している)
もしかしたらそんな声を受けてきたのかもしれません。

しかし、それでもその道が心地よかった。自分に合う道だと思った。
そんな気持ちでお笑いを続けられ、そして結果を残せたのではないかと思いました。

***

先日、何年もお世話になっている方から言われた一言があります。

ケントくんは、いつも80%くらいのやりたいことをやってるよね。毎回、100%やりたいことをやってないから、あとで悩んじゃうんだと思う。

図星でした。
ぐうの音も出ません。

僕自身、行動力はある方だと思っています。
これまで、ひとりで何度も海外旅行に行ってきたし、ヒッチハイクの旅、海外就職、フリーランス挑戦、ゲストハウスでのスタッフ、いろんなことを試してきました。
転職は海外就職も含めて2回しています。

ただ、行動はしているのに、自分の悩みは晴れていない
特に、仕事に対する悩みは今でも持ち続けています。

今やっているITコンサルの仕事は、待遇こそ良いものの、自分にとっては面白みのない仕事です。
フリーランスを経て就職活動をし、その経験を評価してもらった会社です。
だから、感謝はしているものの、仕事は面白くない。

すでに社会に出て8年が経ち、会社も3つめにもなっていながら、自立なんてほど遠い状況です。
なんで自分はこうも生き方が下手くそなんだろう?

別の友達から、以前このようなことを指摘されたことがあります。

ケンティは頭が良いからいつも理論で突き通しちゃうよね。でも、もっと素直にならないと。やりたいことを伝える手段は思いだから。説明じゃないから。

グッとくるものがありました。

僕はいつも何かをやる時、その理由を固めてしまうクセがあります。
ふんわりしたなんとなく、な理由よりも、しっかりと固めた理由の方が動きやすいし、結果の是非が判断しやすい。

加えて、固い理由があると人にはとても伝えやすいものです。
何かを説得する時、人前で話す時、こういったブログで記事を書く時。
いつも、固めた理由を言葉に落とし込むだけで済むので簡単です。

でも、それって対ヒトを意識しすぎている気もします。
誰にも影響しないような自分のやりたいことに理由なんて必要なのだろうか?

もしかしたら、僕は人に伝えることを前提として、つまり周りの反応を予測した上で、自分がやりたいことを決めていたのではないか。
それって本当に自分がやりたいことなの?
なんか矛盾が生じているような。。。

***

どこかの統計にあった情報ですが、日本人は他の国の人と比べて幸福に対する意識が低いそうです。
成功への野心は大きくあるものの、幸福という曖昧な指標には鈍感な傾向にあります。
それは国民全体の宗教感の低さや責任感の低さなどが影響しているのかもしれません。

例に漏れず、僕自身も幸福に対する意識は低いと思います。
成功したいという気持ちは今も強くあるし、そこに向けて考えて行動はしています。
しかし、幸福になりたい気持ちは持てても、そこに向けて何をしたら良いかわからない
そもそも目に見えない幸福という指標がどんなものかわからない。
幸福には成功という顕在化した目標とは違う難しさがあるし、そもそも正解を求めている時点で本来の幸福の姿とかけ離れてしまっている感覚があります。

より良く生きる。
豊かに生きる。

こういった概念を考えた時、僕はまずお金のことが頭に浮かんでしまいます。
お金があればより良く生きられる。お金があれば豊かに生きられる。

でも、客観的に見た天の視点からの自分はその考えを否定します。
「お金は手段の一つであって、目的ではないだろう!」
理論としては理解できています。しかし、心から考えた時、どうしても未だにお金のことが頭に浮かんでしまうのです。
お金が増えると心は充足するけど、お金が減るととたんに不安になってしまう。

たくさんお金を稼いで、旅行に行きたいし、美味しいものを食べたい。
これは事実だけど、本質ではない。
幸福とはもっと深いところにある、根本的な欲求なのでしょう
そこを認識できていないし、到達できていないから幸福を実感できいないのだと思います。

この答えは頭で考えても見つかるものではないのでしょう。
幸福ってなんなんだ。
お金を稼ぐことでもないし、努力して成果を残すことでもない。
マズローの欲求を見たとて、その結果が自分に適応されるのかはわからない。

先日、また別の友達に人生相談をした時にこのようなことを言われました。

ケンティは悩みや問題を克服して、幸せになるための能力はもう全部持ってるよ。
あとはちゃんとそれを認識して、そのプロセスに沿って生きていくだけだよ。

ありがとう。。

いつも考えているし悩んでいる。
ピースはあるから、あとはそれを汲み取るだけなのだと。

課題ははっきりと見えました。

***

100%やりたいことってなんなんだろう?
そもそもどんな自分になりたいんだろう?

もう何年も考えているのに、もう何度も行動してきたのに、未だに全然わからない。

だから、ひとつ結論を出しました。
行動力はそのままに、行動内容をちゃんと精査する。

振り返れば、僕がフィリピンで就職をした時、偶然とはいえ、それまで日本でやっていた仕事と全く同じ仕事を始めていました。
仕事が嫌だったから会社を辞めてフィリピンに行ったのに、転職活動をして全く同じ職種に就いてしまったのです。

当時、「海外で働く」という強い目標があり、英語力の低かった僕を雇ってくれる会社であれば、なんでも良いと思っていました。
だから、実際に会社から内定をもらえたときは嬉しかったし、コロナ禍のゴタゴタの中でも入社させてくれた感謝はあります。

しかし、結局その仕事は始めてしばらく経つと嫌になってしまいます。
コロナ禍の間は目標があったため、1年半日本で耐えられました。

しかし、コロナ禍が明けて実際にフィリピンで働き始めると、この我慢が耐えられなくなってしまい、半年も経たずに会社を辞めてしまいました。

PDCAなんて言葉をビジネスでは使うけど、この「反省を生かす」というごくごく基本的なことが僕にはできていない。なのにその状態で理論を固めてしまう。

そら成功せんわ!

仕事が向いてなかったから、新たな仕事に取り組んでみる。でも、その新たな仕事が、それまでと同じような仕事だった。

こうしてずるずると同じ過ちを繰り返してしまいました。
だから、社会に出て8年も経ってるのに、もう3社目なのに、未だに苦しいままなのです。

行動力があったとて、反省を生かした上で次の行動をしないと、いつまでも同じまま。
行動するのは大事だけど、それが活きるのは内容の精査があった上でのこと。
「行動力」自体に自浄作用はなかったのです。

過去は変えられないけれど、未来は変えられる。
安定感のある、先が見える行動なんてしちゃだめ。
捨て身になって行動しないと、本当の自分は見つけられない。

人に理由をちゃんと説明できるような行動は、実は本質ではなかったのです。

***

改めて、このように忖度なく意見を伝えてくれる友達は大切にしたいものです。

僕は人に恵まれていると思っています。
応援してくれる人、気にかけてくれる人、そして僕のことを分かった上で意見を伝えてくれる人。
本当に感謝が尽きません。

今年の夏で僕は30歳になります。
刻一刻と迫ってくる30という数字に、焦る気持ちは止まりません。

人と比較する必要はないと理論ではわかっているものの、やはり気になってしまう。
20代後半になると、ビジネスの界隈で成果を残して目立つ人が増えてきます。
僕はかつての同級生とは誰にも会わないようにしています。比べて嫌な気持ちになるだけだから。

正直、苦しい。

だからこそ、理想の未来をもっと貪欲に求めていきたい。
冒頭、令和ロマンの髙比良さんがいろんなことから逃げてきたように、僕ももっといろいろと逃げるように試してみるしかないのでしょう。

そこに理屈がないように。
説明できる理論的な行動ではなく、自分の心にただ正直に丁寧に従った行動を
周りの人たちに感謝の気持ちは持ちつつも、彼らの目なんて気にしない。

そうやって生きていく。
下手くそな生き方なりに生きていく。

最後は笑って過ごせるように、突き進んでいくよ。

先週、会社に辞めるって言ってきた!
今年はワーホリに行くよ!

引き続きご愛顧のほど、よろしくお願いします。

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