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風邪っぴきの女装ボーイ

風邪をひいた。
明確には覚えていないが3~4年ぶりぐらいのことである。
周りの人たちが珍しいねー、なんていう。

多分、高めの熱が出た。
多分、と書いたのは、一人暮らしをして以来うちには体温計というものがないからである。欲しいと思ったこともない。
従ってここ10年、体温は体感で推し量ることしか叶っていない。
体が受けた感覚や、熱が下がるのに2晩を要したことを鑑みて、おそらく普段の熱よりもやや高かったのではないか、と推測したのだ。

日頃風邪をひかない理由は大変に明快で、出不精だからである。
面倒くさがって表に出ないのは大変よろしくないなぁと常に思っている。
今では仕事も一つの部屋の内側で完結することがほとんどである。

珍しく風邪をひいた理由も明快で、飲みに行ったからである。
高熱が出た理由はきっと、出不精が祟った抗体不足であろう。
そういう意味では、このあたりで風邪をひいておいてちょうどよかった、とも言える。

熱が出た当初、これを利用しない手はないな(?)と思い、ちょうど今遊びで作っていたソロアルバム用の曲の作業を進めてみた。
(語弊を恐れずに言えば全ての作曲は遊びである、と考えているのが正確なところなのだが、語弊が怖いし、説明もパッとは難しいので、一旦はそういうことにしておく)

これはつまりその、あれである。
多くの芸術家、特に名だたる芸術家の間でかつて(国外ではもしかしたら今も)アルコールドラッグを利用してモノづくりのピントを平時からズラする手段が流行していた、というよくある噂。
発熱を利用してあれを真似てみようと思ったのだ。

まずは体の状態を正確に把握しようとしてみる。
。いつもよりも強く感じる。
皮膚。節々の痛みと共に全ての触覚が鋭敏である。
時間。ぜんぜん経過しない。
空間。ほわほわしていて捉え所がない。
温度。寒いわ、と思うけど、今日が特別寒いのかどうかの自信がない。

確かに常時と異なるインプットの仕方をしている。良い感じだ。
というわけでこの状態で色々録音をしてみた。

それを今、熱が下がって、聴いてみる。
すると…別段、いつもと変わらない、まあ福永がやりそうな音が並んでいた。
驚くべき変化はないし、クオリティが下がっているでもない。

以前にはウイスキーを飲んでから作曲に類する行為をしてみたことがあった。
しかし、その時は全然ダメだった。
ウイスキー実験の際はミックスをしてみたのだが、ミックスっていうのは絶対に健常な時でないとできないようなのだ。少なくとも福永は。
大雑把で派手なミックスになっていた。なんでこれで良いと思ったんだろうか、と昨夜の自分に問いたくなるような、大味のミキシングであった。

少なくとも福永にとって、芸術家に対してステレオタイプに持つ放蕩イメージに沿ったモノの作り方をすると、ことごとくダメか、良くても「健常時と大差ない」ことが多い。
そういうわけで福永は作曲をしようと思う日にお酒を飲むことを一切やめた。
…となると、ほとんど飲まなくなる。

村上春樹に言わせれば「歯が痛くて小説が書けるわけがない、だから歯が痛い時には筆を置いて歯医者へ行く」である。

福永は経験上、どちらかといえば春樹先輩に同意する。

微々たる部分に正確な神経を通せる健康状態を獲得できていない限り、作曲など満足にできるわけがない。多くの場合にそう感じるタイプである。

果たして今回の発熱実験(?)においても、結果は同じなのであった。


多分この実験の途中辺りでがさらに上がって「いつもよりも高そう」という感想を得たのだったと思う。
椅子に座って楽器を弾く、という行為が全く捗らないというか、もう横になりたい、それしか考えられなくなっていったのだ。確か。

椅子に座る、だとか、トイレへ行く、みたいな基本的な行為にも、これほどまでに体力 / 行動の交換が生じていたのだ、という事実に驚愕する。
平時にはあまりにも無自覚だったから。

健康な時、無意識の底では数知れない多くのものが働いていたのだ、という事実が体の節々から伝わってくる。
痛みや寒気、気だるさという形でメッセージを送り込んでくる。
案外、フツーに暮らすだけでも、頑張ってるもんなんですね、体って。
へえー。と、そんな感想を持った。

それから丸2晩、ほとんど寝ていた。
横になりすぎて体が凝ってきて、もう寝れん、飽きた、と思って一度は体を起こしてみるのだが、不思議なくらいベットから外へ出るということができない。

諦めて再び横になると、あれ、まだ眠れたんですか、というくらいまた何時間も睡眠に落ちてしまうのだ。



夜半にふと目が覚めると喉が腫れていた
福永の風邪はいつでも鼻から始まり、喉に終わる。
その鼻→喉の切り替えくらいのタイミングが発熱の山場、風邪のサビの部分にあたる。

風邪菌はこの世に無数にあり、それらによるさまざまな症状を総じて「風邪」と俗称するのだ、ときいたことがある。
それにしては毎回辿る工程が酷似しているな、と思う。

今回のサビはいつもより若干の強敵であった。
息を吸おうと思うとその風圧に喉の炎症が負けて、咳が出てしまうのだ。
といって、息を吸わないでいられる時間はギネス記録に準じても24分3秒が限度である。

福永なんかは堪え性がないので、昔から息止め合戦みたいな遊びをやっても、30秒ほど息を止めていると「あれ、なんでわざわざ自ら苦しい気分にならなきゃいけないんだ」という疑念が沸々と湧いてきて、息を止めるという行為を中断してしまう。
そして空気を吸い込んだ時に思うのだ。
うん、呼吸って、したほうがいいな。息を止めない方が良い。

ところが、今回ばかりはそうでもなかった。
呼吸をすると咳が出てしまう。
咳というのは概ね息を吐き出す行為である。
慎重に慎重に吸った酸素が、僅かなミスで、勢いよく体外へと弾き出される。
これじゃあ呼吸としては台無しである。
だったらしばらくの間酸素を体内に滞留させておいた方が幾分か割に合う。
呼吸でコスパを考える。これも日頃ほとんど意識しない領域だ。

…という感じでしばらくは息を止めたりなんだりしていた。
喉の炎症というのは多分、免疫機能の一種で、風邪に抵抗するために体が親切心でやって下さっているのだろうと思うのだが、その結果呼吸がしづらいのであれば、そのプログラムは本末転倒と言わざるを得ない。
もうちょっと賢く設計できなかったんだろうか。
まあなにしろ、難しいのだろう。
福永は人間を設計したことがないのでよくわからない。
そういうことは専門家に任せるのが分業が進んだ現代の達観というものだ。

しかし体力の消耗というのは不思議なもので、どうも気づかないうちにまた睡眠に落ちていたようである。
そして睡眠をとった結果、晩に比べるとだいぶ喉の調子が良くなった状態で目が覚めた。
こちらのプログラムに関しては大変精巧で優れものだ、と思った。



眠りと眠りの間でできそうなことがせいぜい携帯を見ることくらいしかなかった。
そういうわけで、延々Youtubeをみていた。

中でも「女声で野郎どもを釣ってみた」みたいな感じの、通話系の釣り動画が目に入った。
普段そういうのを観たことがなかったのだが、熱が出ている場合の福永氏は何気なく画面をタップすることを選択した。

動画内では、可愛らしい女性…かとおもいきや緻密に女装をした心身共に実は男性なのだ、という方が、女性の声真似をして通話アプリ上で見知らぬ男性と通話をしている。

その「女性の声真似」や「女装」というのがちょっとレベチのクオリティである点がこの動画をエンタメとして活気づけていた。
どう聞いても「女の子が喋っている」ようにしか聞こえないのである。

なんでかそれが妙に面白くて、時々目が覚めては、そういう動画を観て、気付いたらまた寝ていた。
そんな調子で陽が2度も落ちては昇った。
多くの人は「なんて無駄な2日…」と後悔するのだろうが、この2晩に関しては福永の中に生産的な判断を可能とするだけの余剰がなかったようだ。
そして案外、今でも後悔の念は湧いてきていない。今のところは。

そういった女声釣り動画は、大概の場合オチの方角が決まっていた。

無作為に匿名で電話をかけられる通話アプリ上には一定数、エッチなことを考えている人が男女共にいるようで、通話をしながら擬似的にお互いに行為に励む、という文化があるようなのだ。
そういう行為を総じて「エロイプ」と呼ぶ。
多分、エロいスカイプ、の略称なのだろう。

女声釣りの場合は「上手に女声を出せる男性」が動画主であるため、ターゲットはエロい気分になった男性である。
欲が高まってきたところで「実は私、男でした!」という旨を地声である男声で伝え、そのリアクションを楽しむ、というのがオチのフォーマットだ。

配信者本人の弁によると、誰彼構わず女と見るやエロイプを仕掛けてくるような奴は「悪」なので、アカウント名やアイコンこそ隠すけれど、動画化に際していちいち許可は取らない、のだそうである。

…しかしまあ、なんというか、福永は感心してしまった。
匿名でさえあれば…人は(みんながみんなじゃあもちろんないと思うけど)こんなにも性にオープンなのだなぁ…と。
なんなら人に迷惑をかけないんだったら、そのくらいオープンでも良いのでは?とさえ思ってしまった。
生き生きしている。いや散々笑っちゃった後で言うのもアレだけれど…。
こんなにもいろんな人がいるもんだ。お好みも、千差万別。

エロイプの場合は迷惑がかかっているパターンがすこぶる多いようなので、やめた方が良いんじゃないでしょうか、と福永も思う。
でも、オープンなのは一周回ってちょっと気持ちが良いな、と思ったのだ。



睡眠と女装のはざま(?)で、一つ思い出したことがある。
それは「女の子になりたい男の子♪」という歌詞である。
多分、福永が小さい頃に観ていた「おかあさんといっしょ」という教育テレビかなにかの、エンディングテーマかな?の一節である。

そんなことはすっかり忘れていたのだが…当時その「女の子になりたい男の子♪」という歌詞を聞いて、その言葉の意味を初めてきちんと理解したとき…なにか、ゾクっとしたことを思い出したのだ。

見てはいけないものを見てしまった高揚というか、考えてはいけないことを考えてしまった興奮というか。

そこから芋づる式に思い出されたのが、幼少期に両親に、雑誌の付録?か何かのあれで、セーラームーンのコスプレをさせられたこと。
させられた、というか、自分がしたいといったのか、両親の意向に沿ったのかすら正直覚えていないのだが。

奇妙なほど恥ずかしく、そして独特な気分になったことを思い出したのだ。

さらには同じく幼少期、多分近所の女の子の家に遊びにいった時のこと。
テレビだかVHSだかはわからないがつけっぱなしになっていたセーラームーンをみて「男の子が、本当は見てはいけないものなのに、セーラームーンを堂々とみても良い状況」に一定の興奮を覚えた記憶がある。
いや実際には、見てはいけないわけはないのだが、幼年の福永は少なくともピュアにそう捉えたことを覚えている。

…念の為説明しておくと福永は現在、心身ともに男である、と自覚している。
髭がいっぱい生えており、朝起きたら腹筋をするのが日課になっている。
トム・ウェイツをみてこういうクールな漢になりたい、と思う。
性の対象は女性である、とはっきり思っているし、女性とお付き合いした際に違和感を抱いたこともない。

これまでに、女性になりたいとか、自分は女性であると思ったこともない。
ちょっと変身願望みたいなものは今思えばなくもなかった。
だが、その願望の程度というのは「生まれ変わるなら女性になりたい」くらいのもので。
その理由を「化粧やズボン/スカートの選択、トップスにしても種類が豊富で、なんだか楽しそうだから」と説明をしていた。

今となってはその言語化が実態を適切に捉えたものだったのか、はたまた整合性を得るために無意識に為した見当違いな後付け解説だったのか…それはもはや自分にもわからない

そういえば。福永がを生やし出した最初の理由は。
「女性には化粧がある。自分も化粧をしたいような気がするのだが、何やらナチュラルなことではない。(少なくともその頃はまだそういう時代だったし、何しろ福永自身がそう思っていた)だったら逆に男にオリジナルなもので遊べるだけ遊ぼうぜ」みたいな、なんだかそんな気分で髭を生やし始めたのであった。

…とはいえそれらを思い出したところで現状の性自認がひっくり返るほどの衝撃はない。
一応将来の夢は「かっけえじじいになること」であると公言している。
その夢にブレをきたすようなものではなさそうである。

しかしなにしろ、風邪で弱った頭が華麗な女装姿とほとんど遜色ない女声を操る男性を見たときに記憶から引っ張り出してきた芋づるは…土がごっそりついたまま、ずいぶん長ーく暗所に埋められていて、思い出しもしなかった、これらの記憶だったのである。

それには自分自身で大いにびっくりした。
当時のあれ、なんだったのだろう、あの興奮というか、背徳感みたいな...。

当時の福永の言語力にはその「感じ」を表現するテクニックが備わっていなかったため、良くも悪くも土がついたそれらの思い出を掘り起こしたとき、感覚としてかなり正確なものを掘り当てた、掘り当ててしまった、という感じがあった。

少し横道に逸れるが、これが、言語化の怖さ、かもなぁと思う。
あるいはアナロジーの怖さ、であるとか。
言語化した途端「リアル」をそのまま封入することはできなくなる。
言語はいつだって抽象化の過程で概念のうちの何割かを捨て去ってしまう。
まあでも、そのおかげで形を整えて棚に綺麗にしまって置けるという利点もあるので、もちろん悪いばかりではない。

それはともかくとして、少なくとも今回思い出した感覚というのは、今、適切に言語化できないものである。
今感じたのであればまだ言葉の尽くしようもあるが、当時の体感からずいぶん長く日々を過ごしてしまった上に、その頃の感覚だけが全く名付けられずに、突然リアリティを持って蘇ってしまったのだから。

もしかしたら風邪で頭がぼんやりしていたのが功を奏したのかもしれない。
余計な考察を挟むことなく素直に感覚が思い出されたのだ。

そもそも風邪でもひかない限りそういった動画をyoutubeで見てみよう、という発想自体が発生しなかったような気がする。
暗所に埋まった無自覚の欲求
思考や常識という自分の中に積もった土の層が、発熱の影響でナチュラルに退けられた、という言い方もできてしまうかもしれない。

つまり、風邪の影響で、感覚が常時のピントをズレたのだ。
その結果が今挙げたような、土のついたお芋たちのお話と言うことになる。
そしてそれは、こうして書き残しておこうと思うくらいにはドラスティックな力を持っていた

作曲ではうまくいかなかったのに、こんなとこで力を発揮するとは…。

感覚に対して「不健康さ」はときに繋がる予定のなかったシナプスを繋ぐ力を持つ、ということは言えてしまいそうである。
平時の整頓方法には慣れが生じているのだとして…それがバイアスとなり繋がらなくなった脳の概念と概念を結び、新しい道を作る。

岡本太郎の顔が出てくる。
彼はあの、情熱的な表情で言う。
「積み上げるな、積み減らせ!」
福永は別段、彼のファンというわけでもない。
あまり知らないなりに、松岡修造のような太陽的な力強さを感じるおじさんだ、と勝手に思っている。
なにしろ…意志が強いから。

しかし、積み減らせ、か。
積み上げることに終始した時に。それを史上目標とした時に。
土の底、暗所に眠る原始的な欲求はついに息絶えるだろう。
そこにそういった欲の萌芽が存在していたことに、本人すら気づかないだろう。
彼はきっと、そういう萌芽の中に、芸術の真髄を見出すタイプなのだ。
そういう、太陽のような男なのだ。

今少し調べてみると「積み上げるな、積み減らせ」という文言は主にミニマリストたちの間で金言として流行しているようだ。
モノを買うな、極力減らせ。
…でも、私見では、多分、そういうことではない。
ちょっとズレている。
正確にいうと「そういうこと」でもあるかもしれないが、それはこの1行に込められたごくごく部分的な読み取り方でしかない。
そんな気がするのだ。

それにしても。
岡本太郎はなぜ、あんなに勇気を持っているのだろう。
まばゆいおじさん。
福永には生涯真似できなそうだ、と思う。



さて。熱も下がって。

「女声 練習方法」
で検索をすると案外多くの検索結果が得られる。

というわけで、試みに実際に練習をしてみた。
自分の声帯から喉仏要素(?)をなるべく排除しようとする。

メラニー法と呼ばれる発声方法があり、元はトランスジェンダーのメラニーさんが開発したものである、とのことだ。
さまざまな理由で、声帯がメンズ仕様だけど、女声を出したい方たちがその技法をモリモリと発展させ、ネット上にどんどん共有しているようなのだ。
少し調べただけでも情報がたくさん転がっている。

ちょっと練習をしてみると、なかなか面白い
もちろん1日2日では、鳥の首を絞めたら録音できる音声かな?みたいな阿鼻叫喚を丸めた音しか発声できないが、たまーーにマグレで一瞬、まるで自分ではないなにものかのような、それでいて自然な声が出てくる。

熱心に練習をしていると、夕食を食べにきた友人から
「おいおい、その髭面でなにをやってんだ」と言われた。
全くおっしゃる通りである。ちょうど今俺もそう思ってた。
このnoteを読んでくれている人の過半数も今ちょうどそう思っている。
そうですよね?

でも、髭を剃る気は全くない。
好きで生やしているのである。
そして同時に、女声の練習をするのは今のところ楽しい。

このお髭たっぷりの面構えのまま、いきなり超上手な女声で話しだしたりしたら結構ウケをとれるのではないか、なんて想像してみたりする。
脳がバグりそう。

ウケるかどうかはともかくとしても、喉と音声の関係を知るにあたって声真似・ものまね系統はわかりやすく成果のあるものだ、という知見を得た。
あんまり自覚はないものの、福永はバンドのボーカルでもある。

周りを見ていて、ボーカルが上手い人が犬の鳴き真似がうまかったりする
あれはそういうことだったのだな、と思いもよらない文脈で気付いた。

……本当は福永は「女の子になりたい男の子♪」であるにも関わらず、今自分は、これまでの人生と経験を正当化するために「ボーカルや音楽技能に結びつけることで、練習してみたい自分自身を正当化し、不和なく自分の行動を認知しようとしている」のか、それとも本当に「純粋に音楽的な発見に心躍っている」のか。

いやそもそも、ただ熱が出て、変なことを考えているだけなのか。

もうもはや、自分でも全く判別がつかない。
まあ別に。分からなくても良いかな、と思う。
多分、福永の生涯にはあんまり大差ないだろうから。



もしかして(異性に対する)変身願望を薄い力で持っている人、というのも、実は結構居ないでもないものなのだろうか。
みかんが食べたいけど、わざわざこたつから出るほどではない、とか、それくらいの。
時には…本人にとってすら無自覚で、心の土の下に、ひっそりと。
もはや忘れ去られていて、それについてなんの違和感すらも持っていない

そういったことも、よりオープンになっていったら単純にもっと面白いのかも、なんて思ったりしたのである。
人に迷惑がかからない範囲でなら。
思い切り自由に生きちゃえばいい。

「積み上げたものぶっ壊して♪」
「身につけたもの取っ払って♪」

しばらく前の流行歌が聴こえてきたような気がする。

「積み上げるな、積み減らせ」
太陽光線がタワーの頂点から降り注ぐ。

けど福永はきっと髭をそらないし、女装をしないし、音楽にまつわる実験をしては興じる今のライフスタンスのまま生きていく

そして数年も経てば、今ここに書いたようなことはすっかり全部忘れてしまうのだろう。
その証拠に今、熱は下がり、喉の痛みも快方に向かっているのだ。



ヘッダーの画像は、この頃描いた、八丈島の景色
夜の海ってものは、携帯で撮ってもうまくいかない。
だから、思い出して描いてみたのである。

絵は小学生の頃に挫折というか「自分よりクラスメイトの方がうまい」と思い描くのをやめてしまったのだが。
20代も後半になってから何の気なしに水彩絵具を買ってきて、ちょっと描いてみたら思った以上に楽しかったのだ。
それから年に1回くらい、自然と描きたくなって描いている。
上手に描こうとか、褒められたいみたいな気持ちが全くなくなった今のほうが、気持ちよく楽しく描けている。
その感じを、小学校5年生くらいの福永に教えに行きたい気分である。

音楽も、きっとそんなふうに思えた方が良いのだろうけど…今のところそこまで達観することができない。
良い作品を聴くたびに唇を強く噛み締めている。



本日はこれでおしまいです。

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