2020-05-07の日記(老化と感性)

晴れ。ここ数日のうちでは涼しい。

昼には「こんなもんでいいか焼き」を作りました。何らかの肉とモヤシを創味シャンタンと醤油で味付けたものです、こんなもんでいいか、という気持ちから名付けられています。

きょうはCNNラジオを聞いていましたが、CMに入ると突然ナレーターが「死を恐れていますか?」と聞いてきたので大笑いしました。保険のCMのようです。

みうらじゅんさん(だったと思う)の非常にいい話に「ボブ・ディランの曲は現在の自分と同じ歳に発表したものを聴くとよい」というものがあります。くやしいですがこれはかなり当たっている気がします。

たとえば「風に吹かれて」が22歳。「ライク・ア・ローリング・ストーン」が24、ノーベル文学賞3回分に値する歌詞である(僕調べ)「見張塔からずっと」は26歳。その年齢のときの感覚はたしかにけっこう重なっています。

自分の感性も多くの人と同じように年齢とともに変化していき、しかもその経路はそこそこ似ているみたいです。

これはボブ・ディランの曲に限らない気もします。さいきんは悲しい気持ちが多いのでピチカート・ファイヴをよく聞いているのですが、これまでよくわからなかった『couples』が少しわかってきました。これは小西康陽28歳のもので、僕にも近いです。

悲しい気持ちのときに悲しくなる音楽を聞くのはどういう機序なのでしょうか。ネコが自分の眼球を手で触っては痛そうにしていれば僕は「何やってんだろうな〜」と思うのですが、僕の行為も宇宙人にはそう見えるはずです。

夏が近づくと悲しくなります。毎年のことなのですが慣れません。脳が温度に耐えられないのでしょう。地軸がシャキッとすることを祈っています。

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