2020-05-06の日記

早朝に緊急地震速報で叩き起こされる。千葉で震度4が続く。心臓が胸を内側から蹴っているのを感じました。「心臓に悪い」の意味がわかった。

やや涼し。くもり。

夕立がたくさん。とにかくゴロゴロ、ゴロゴロ。夏の積乱雲のように鳴る。雷はランダム性が高く、たのしい。

雨は好きです。傘はひとを一人にするから。たとえば

のような空間にずっといたいです

夜はアサリの酒蒸しをつくりました。
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おいしくできました。海の匂いはニンニクとショウガとコショウとアルコールで消せるようです。どれだけ投げ込めば太平洋は無臭になるのでしょうか。

ドラマ『ビッグバン・セオリー』の登場人物がドルビーデジタルとdtsの違いにこだわっていて懐かしさと感動を覚えました。DVDを再生するときにこれを意識しているひとが僕以外にもいたのだと勝手に感動してしまいます。もちろんいっぱいいるはずですが、見かけたことはありませんでした。井戸の中のカエルです。

「僕しか知らない」と思い込むことはネット以前の特権だったようにも感じます。検索をかければ自分より詳しいひとは(だいたい)見つかります。日本語ではヒットしなくとも、英語や中国語に広げればかなり見つかる気がします。かなりのひとにとって、自分が一番よく知っている唯一のことは自分の気持ちだけという感じなのかもしれません。そのため、自分を優位に立たせるために利用されるファーストチョイスが自分の感情であるような気もしないでもありません。

(もちろんそれも思い込みで、自分の感情を一番よく知っているのは自分ではなく周りの人であることもけっこうあるようです。)

しかしながら、「僕の知っていることを知っているひとがいる!」というのは大きな喜びでした。田舎から田んぼのない街の高校に出てきて、mp3とaacの違いがわかるひとがいて、演繹と帰納の違いがわかるひとがいて、村上龍と村上春樹の違いがわかるひとがいて……

そしてインターネットがありました。

まあしかし逆のことを言うと最近は知りたいことはインターネットに全然ないような気がします。もちろん関心が専門的になりすぎた点もあるかもしれませんし、そもそも何にも関心がないのかもしれません。

むかし通った小学校に大きくなってから行ってみると何もかもが小さくなっているように感じることがあります。インターネットもそうかもしれません。それは猛烈な勢いで大きくなり続けているはずのなのですが、何かが急速にしぼんでいっているようにも感じます。これから生存が続くうちにはWikipediaはぜんぶ読みきれないし、Netflixは全部見きれないし、Youtubeはサムネイルすら見終わらないはずなのですが。

季節の変わり目で気持ちが落ち込みがちです。気持ちが這い上がるとは言いません。物語とは人間が穴に落ちて這い上がるものだとの良い言葉があった気がしますが、残念ながら人生は物語ではなく、単なる時間の経過でしょう。すべては解釈だとえらいひとはいいました。僕は解釈でないものを見つけたいです。

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