20209/28(月)できる、できない

自転車のパンクが思いのほかひどく、チューブやタイヤの取り寄せなどで1週間かかると言われ、今週は電車通勤になってしまった。

タイヤの損耗が激しくて交換時期だったので、くるべくしてきたものだと思うことにした。

電車通勤の間に日記を書こうとスマホを開くとバッテリーが切れていた。あいかわらず間が悪い。習慣化できないのはそういうところだぞ、自分よ。

「自分の薬をつくる」の坂口恭平さんをtwitterなどでおっかけていて、よく「みんな自分を過大評価しすぎ」という表現が出てくる。自分は自分に自信がないから、自己評価が低いから落ち込むのかと思っていたら、もともとの自己評価が高いから現実の自分の評価が下がったときに苦しくなるとのこと。確かにそうかもしれない。特に根拠もない自信はたまにあったりするもんな。根拠がないときは大概なにも考えていないときだったりするが。いろんなことにいちいち不安になるよりはいいかと思っていたけど、自信があるのも問題ということなのか。

自分の評価を上げも下げもせずに、ニュートラルな状態でいることはできるのだろうか。

自分はやろうと思ってできなかったときは本当に悔しかったり落ち込んだりする。それは最初からできると思い込んでいるからだろうか。できないと思っていた方がいいのだろうか。

子どもたちにも「大丈夫だよ、できるよ」とよく励ましたりする。自信を持ってチャレンジしてほしいからだ。でも、できるよと言われてできなかったときはやっぱりショックだと思う。できない自分を直視するのは辛い。

じゃあ「できなくてもいいから、やってごらん」「失敗してもいいよ」だったらどうだろうか。失敗してもいいと思っていれば失敗した時のダメージは少ない。その次改善して再チャレンジすればいい。

書きながら思ったが、「できた」「できなかった」はそのとき1回分の評価だ。継続を前提とした評価ではないような気がする。次から子供たちには「失敗してもいいよ」の方で声掛けしてみようと思う。

自分のことに置き換えてみる。休みの日はよく自分が料理をする。はりきっておいしいものをつくろう、普段より手の込んだものをつくろうと意気込む。するとよくうまくいかなかったりする。おいしくできなければ落ち込む。このパターンがよくある。そのとき自分は家族においしいと思ってもらいたい一心でつくっているので「できない」というイメージはない。初めてつくる料理のときであってもだ。それで後から自分は「できない」と思うのは、ちょっと違うような気がしてきた。

できなくてもいいからやってみて、うまくいかないときは改善してまたやってみてを積み重ねる。これが必要だ。それでもできないのなら向いていないと思うか、やり方を間違っているのかもしれない。
何か新しいことを始めるときは積み重ねる仕組みをつくるようにしよう。そうすれば「できる」が増えていくかもしれない。

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