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ジャン・コクトー「恐るべき子供たち」再読

たぶん25、6年ぶりにジャン・コクトーの「恐るべき子供たち」を再読しました。

1929年の作品で、フランス文学の中では一応古典に入っているのかな?
まあかなり有名です。

僕は基本歴史に残っている作品に対してはそれ自体が答えだとし(歴史に残る価値がある=名作)、余計な評価はせずその作品の価値を理解することに努めますが、「恐るべき子供たち」に関しては正直それは見つからなかったです。
ていうか、めちゃくちゃつまらなかったし、かなり粗い印象を受けました。
冒頭の雪合戦のシーンや、子供に対する描写は『これこれ、やっぱフランス文学はいいなー』と楽しめたものの、人物が突然名前だけで登場し、描写が少ないままどんどん進んで行くのについていけず、中盤になっても『えっと、この子がこの子と兄妹で…』と確認しないと分からない。
各シーンがなんか紙芝居みたいに細切れで、つながりがたっぷり行間にゆだねられているのでいちいちあれこれ考えないとすぐおいていかれます。

フランス文学にしては感情もそこまでしっかり書かないので、今なんでこの人物がこう思っているのかが分からない。
また突然誰かが登場し、なんか突然結婚したり死んだり、突然大金持ちになったり……半分ぐらいで苦痛になってきてやめました。

作者がアヘン中毒の療養中に3週間ぐらいで書きあげたそうですが、確かに、ざっと仕上げた荒さが確実にあると思えます。
そして「もうええわ!」と投げた瞬間、なんか解放された感じがしてすっきりしました。
ユルスナールみたいに『ここで辞めたら絶対後悔する!』という啓示のようなものは一切なかったです。
読者を踏みとどまらせる力はこの作品には感じませんでした。

コクトーって詩人なんで、詩人が小説を書くとたぶんこんな感じになるという典型な気がします。
やたらと余白が多い(レイアウトではなく行間に任せた文章という意味)のもそのせいでしょう。
読者が存分に想像力を発揮することを前提としている感じ。
僕が詞が苦手なのもそこにあります。
なんかめっちゃこっちにゆだねてきてるけど、お前が説明せーや!と思ってしまいます。

ただ、本作はメタファー好きな人には楽しめるのではないかと思いました。例えばポールがぶつけられた雪玉は何のメタファーだったのか、みたいなのを延々考えるのが好きな人。
僕はメタファーは嫌いじゃないけど、どっちかというと作者がしっかりと主題を認識して、それを物語に落とし込んでいくような作品が好きです。
あとこっちにゆだねすぎずに、ちゃんと作家の方で細部まで描写する人。
フランス文学だとバルザック、ラディゲ、ユルスナール、モーパッサンなどなど、みなしつこいくらい描写してくれるのに、なんかコクトーだけ違う気がします。

てことでコクトーは改めて苦手だと分かりました。
たぶんもう読まないでしょう。

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