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[ちょっとしたエッセイ]祈り、持久戦

 祈らずにいられない時というものがあるだろうか。別に信心深いわけではないし、敬虔な何かの信者でもない。にも関わらず、何かにすがる気持ち、何かに祈らずにいられない時は、恐怖にさらされている時ではないかと思う。
 
 ほら、左右に捻るような揺れ。手に持つ文庫本をグッと握り潰す。ジンワリと手汗がにじみ出るのを感じながら、執拗に辺りの様子を見て回る。完全に落ち着きのない人になっている。首を傾けて通路の先を見ると、添乗員が笑顔で座っている。そう。今飛行機に乗っている。また揺れた。横で寝息を立てる子どもは、ゲーム機を無表情でやり続けている。あ、また揺れた。周りを見渡す。みんなこの揺れに無関心だ。
 個人的に飛行機に不信感があるわけではない。その安全性は理解しているつもりだし、よっぽど車の方が危険なのも知っている。わかっているのに毎度肝を冷やす気持ちになるのはなぜだろう。
 たとえば、普段空を見上げると飛んでいる飛行機。空の上を一糸乱れぬ様相で前へと進んでいる。あれを見ると、飛行機というのものはなんと航路に障害がなく、安全そうだと思わされる。
 片や、機内にいると、下界にいた時に見上げたものとはまったく違い、大空の上で飛行機が揺れることの恐怖。それは、地に足のついていない状態での揺れが、なにかのきっかけで落ちるかもしれない、いや落ちそうだという恐怖を引き出してくる。
 
 あれは何年前だろうか。そもそも僕は飛行機に変な恐怖心はなかった。高校生の時に初めて行った海外は、14時間のフライトだった。その後も、国内だろうが海外だろうが、飛行機が怖いという意識はまったくなかった。そんな僕が飛行機というものに恐怖を植え付けられた出来事。それは忘れもしない20年ほど前。兆しはあった。
 ネパールのカトマンズからタイのバンコクへ戻ろうと旅行代理店でチケットを購入した。航空券を買う基準は、大手航空会社かどうかということだった。多少の金額差であれば必ず大手のものを買う。そのつもりが、大手の航空券が売り切れていてなかった。そこで提案されたのが、ロイヤルネパールエアラインという聞いただけでは、なんとも豪華そうな航空会社で、しかも国営ときた。これまで乗ったこともなかった飛行機であったが、その名前の煌びやかさに航空券を買うことにした。
 そして搭乗ゲートから目にしたセスナを思わせるような小さなジェット機に一抹の不安を覚えた。機内は、トピ(ネパールの帽子)を被ったネパリたちが、遠足気分で賑わっている。お菓子をテーブルに広げて、シートベルトをする気配もないくらい、穏やかで平和な空気が漂ってい、知らぬうちに不安な気持ちも和らいだ。
 しかし、そんな時間も束の間、飛行機が離陸した途端、空気は一変する。両翼が左右に揺さぶられ続ける。通路を何往復も走る空き缶を見たのは、この時が初めてかもしれない。そして、それが収まったかと思うと、今度は上下に揺れる。乱気流によるものだとしても、これほどまでに揺れたことがあっただろうか。冷や汗を握りしめ、シートベルトを一段、いや二段強めに締め。、必死に背もたれに体を押し付け、前だけを向いた。時折、手荒いエレベーターのような、穴に落ちるような肝が縮む「あれ」は、おもらしをするかも…といった恥じらいさえも忘れさせてくれた。
 バンコクまでの飛行時間はおよそ3時間半。シートベルトを何度も何度もキツく締め、背中を背もたれにピタッとくっつける。ほぼ3時間はこの態勢を変えることがはできなかった。僕の横に座ったネパリのおじさんは、離陸前までは僕にお菓子を振る舞い、笑顔で周りの人たちと話していた。今は、毛布を被りただ震えている。死んだと思ったら、次の瞬間生きていて、また死を予感する。これほど、飛行機が揺れる。そして足元は空の上だ。命をこの小さな鉄の塊に預け、僕らは死の飛行をし続けている。
 何度、死ぬ瞬間を通り過ぎただろうか、点滅を続けるシートベルト着用ランプ。ポンポンなり続けるアラート。ずっと雲の中を通っていた飛行機の窓から下界の景色が見えた。これはどちらだろうか。墜落間際の景色か、それとも航路の続きなのだろうか。夢も現実もない。そして穏やかな死ではないから、走馬灯も見えない。このまま見知らぬ異国の地で、名もなき乗客として死ぬのだろうか。
 すると、また飛行機に異変が起きる。高度を下げ始めたのだ。これは、もしや航路の続きで、着陸態勢に入ったのだろうか。と、一瞬心の緊張が緩んだ途端、下腹部にふわりと浮くような、「あの」感覚に襲われる。そして横にいるおじさんが宙に浮いた(気を緩めた際にシートベルトを外したんだろう)。

 生き返る。そうは言いたくない。生きながらえた。そういうわけでもない。とにかく懸命に生きることを祈った3時間半。3月のバンコクはいつも以上に蒸し暑かった。その足でカオサン通りまでバスに揺られ、丸2日ゲストハウスで寝込んだ。

 なんだかんだ、やはり飛行機は安全な乗り物なのだろう。しかし僕はあのフライト以降、安心して眠れたことはないし、何をしても集中できない。あれから20数年経っているが、飛行中は僕の祈りは続いたままだ。安心、安全とは頭の中の標語であって、これからも祈りが止むことはないだろう。
 今回降り立った宮崎はとてもよい土地だった。そんな旅の話はまた次の機会にでも。

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