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『別府歴史の旅』#5「別府の発展は港から」

「別府の発展は港から」といわれるように、明治17年(1884)、大阪商船株式会社によって、阪神・別府間に初めての定期航路が開かれてから、数多くの入湯客や観光客が瀬戸内海の航海を楽しんで別府へ入港してきました。

阪神-別府の定期航路を就航した二代目「くれない丸」は、その速さと豪華さで「海の女王」と呼ばれた。


 明治4年(1872)の築港時は長崎・博多に続く九州第3番目の波止場でありながら、船溜まりが浅いため大型の船は入港ができなかった別府港も、大阪商船専用桟橋が造られ、大型船が着岸できるようになったのは大正9年(1920)のことです。桟橋は現在の北浜ヨットハーパーの浜脇よりに開設されました。

桟橋で見送りをする人々。当時入船の出迎えには、市内の旅館が旗を持って集めた。(昭和初期)

 

現在の「ゆめタウン別府」の位置に別府港と桟橋がありました。


 当時は浜脇温泉への入湯客が多かったため、浜脇住民から大反対の声が上がりましたが、桟橋から浜脇まで八間道路を通す、という解決策で無事解決したのだそうです。
 その後、「世界の別府」として観光都市建設のため「別府国際観光文化都市建設法」が昭和24年(1949)に市議会で可決され、港の設備の充実を図るため、昭和32年(1957)現在の観光港が開港し、今日も九州の海の玄関として、日本だけでなく、世界各地からたくさんの観光客を迎えています。

現在の「別府国際観光港」


「フェリーさんふらわあ」、大阪-別府間を結んでいる。

≪次回≫
『別府歴史の旅』#6
「九州横断道路」

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