まだ、ここにいる。(中村一義さんのことなど)
誰か俺をシカトしてくれよ。でないとこのまま死んだように生きてしまうよ。それかお風呂で溺死しちゃう(たぶん何度か終わってる。ワクチンは2度で止めたけど)
あぁ~苦しかった!って辞めたいのに、あれだけキツかった40年の日々すら忘れてしまいそう。それだけを考えて、衣食足る生活を選んで来たのに !
僕は死ぬように生きてきた。
「ハリウッド レコードで中村一義という新人のシングルCDを。『ROCKIN'ON 』周辺で絶賛してたので買ったら本当スゲェ !」
(1997年1月23日木曜日の日記より)
でもどう?どうって言われても…なぁ。
(ずっとそう思ってるけど)
小さな灯り消して、
真っ暗にしてみる。
すると、解るよ。
「僕は、今、ここにいる」。
小さな灯り消すと、
みんな、何見える?
遠い先の自分が、ほら、
今日に手を振る。振る?
どうだっていいや。
カッコとか、そんなのは。
中村一義『ここにいる』より
カップリングの『ここにいる』。
『犬と猫』と同じくらい、気に入ってた。
「ひとつかっこいい手本があって、みんなが真似するんじゃなくて。自分の中でかっこいいものってあるじゃん?それだけですからね、判断基準は」(曽我部恵一)というまぁ何でもないひと言だけど、なぜかすごく開けたというか、ヒントになった。これかぁ ! って感じ。個人的なカッコよさを目指そう。マイブームを超えて !(kenzi『MEMORY DIARY 1997』メモ欄より)
30代が始まったその頃の日記には『ROCKIN'ON JAPAN』サニーデイ・サービス(曽我部恵一)インタビューからメモってこんなことを書いていた。
曽我部さんは見ての通りよ。
(わたしは何をしてきたんだか)
音楽って当たり前かもだけど言葉と音で、けれどもその案配なのか、そもそも語彙や音響そのものを受けとるレセプター(受容体)の有無なのかで好き嫌いが発生、クラスター(分断)ができてしまう。音楽って意外かもだけどピースフルじゃない。
ばらの花(くるり)
Lucky(SUPERCAR)
青すぎる空(eastern youth)
90年代に好きだった曲3つ。
そんで「今朝の論語」を見てたら…
子の曰わく、質、文に勝てば則ち野。文、質に勝てば則ち史。文質彬彬として然る後に君子なり。(質朴さが装飾よりも強ければ野人であるし、装飾が質朴よりも強ければ文書係りである。装飾と質朴とがうまくとけあってこそ、はじめて君子だ。)
(金谷 治 訳 『論語』岩波書店 より)
わたしが好きだった曲や、それを創った人って「文質彬彬」じゃね?とか思った(ロックが君子なわけねーか)
コンビニのコーヒーを買い、先日の小山田圭吾インタビューで超久しぶりに購入した『BUBKA』が目に止まるようになり、「中村一義『天才を背負わされて』吉田豪インタビュー」とあり、また買ってしまった。
この10コ下のミュージシャン(正確に言うと9コ)への関心は、よくあるライフヒストリーというよりは、その「文質彬彬」を生み出す天才性みたいなこと、だった(読んでみて改めて気づいた)。
当時22歳の若さで「10年に一人の天才」(渋谷陽一)と言われて。この年わたしはといえば 31歳で、家を買い、妻と子供ふたりと生活していくため、いかにテンションを上げるか…に、関心が高まっていった時期だった(元がネガティブ & ローテンションなんで)
「僕は死ぬように生きていたくはない」
https://youtu.be/417LVRB4b4g?si=XJNDrah-EgnG_xUK
こんな名曲を、わりと最近になって知った。
『キャノンボール』娘と行った Base Ball Bear の武道館、開演前のSEでかかったの良かったなぁ。そういえば…
サカナクションまでは自分の感覚だけを頼りに良さそうな音楽を探してたんだけど、娘がナンバガとかダイナソーJr.とか(エルレとか)を気に入って、それまで「質朴(歪み)が装飾(言葉)よりも強い」と勝手に感じてた(聴けばそんなことは全然ない)バンドの良さに改めて気づくことができた。
聴くと同時にギターを手にして音を鳴らした、娘。のお陰で、わたしは2度、青春が味わえた。
みたいな30代、40代も過ぎ、そんで50代からの「文質彬彬」は大森靖子さん一択なんだけど。前々回に上げた動画で『Over The Party』を久しぶりに聴いて、大森さんはヒップホップ(日本語ラップ)やっても絶対いいの作れるよな~とか思ったりした。
それと大森さん、10年も前からアイドルがハードモードでけしからん話を、マキタスポーツさんとしてたわ。
フリッパーズのギター、からのくるりや中村一義、からの大森靖子。どこかにいる俺みたいな人、お友達になってくれませんかね?
「(違法ダウンロードの話から)だってさぁ、世の中というものは、どんどんある方向にしか進みようがないんですよ。それはいつも言ってるけれど、結局…エントロピーが増大していくことしかないですよ。だからそれはしょうがないんです。エントロピーってのは普通は物理社会、物理世界のことだけれど、人間の心の中のエントロピーもどんどん進んでるから、どんどん…それは何て言うんだろ、より、何て言うのかね、一般的な意味で言ったら、どんどん悪い方向になっていくのはしょうがないんですよ。だってさぁ、これいろんな人も言ってるけど、善と悪は、悪のほうが強いですよね?『まぁ悪のほうが魅力的だったりもするし』(吉田豪さん)あ、そういうことじゃなくてね、善と悪っていうものを、たとえば創造を「善」、破壊を「悪」とするじゃない。10年かかって創造したものを、1秒で破壊できるでしょ?そっちのほうが強いでしょ?あと、だから悪っていうのはさ、モラルが無いですよ。モラルが無いほうが強いじゃない。善っていうものにはモラルが有るから、モラルが有るものとモラルが無いものだったらモラルが無いほうが強いじゃない。そうするとどんどんどんどんね、そこにもうひとつ、その、それはパンドラの箱だか何だかわかんないけど、1回それが開いちゃったらもう戻らないじゃないですか。その「覆水盆に返らず」ってのがエントロピーの法則なんですけども…」
(SHOWROOM『豪の部屋』ゲスト:近田春夫 より 近田春夫さんの発言を書き起こし)
6年生の終わり頃、桜田淳子が中島みゆきを歌いだし(しあわせ芝居)大学生になるとユーミンが煌びやかな世界(SWEET DREAMS)を歌いだした。そういう時代を生きた(中島みゆきとユーミンで言えばね)
今思えば、昭和40年男も、子供時代はまだまだ戦後だった、のかも。
WOWWOWに『名もなく貧しく美しく』を見つけ、思わず録画してしまった。そうだ、そういう価値観がまだ生き残っていた。貧しいのが良いのではない。豊かになると「楽」になり、楽になると「苦」は避けられ、「マジメ」が崩壊し、「善」に向けてのエネルギーを使わなくなる。豊かは楽をめざしてのことだから、楽を求め続けた結果「悪」がはびこるようになってしまった。
誰もが言うように、教育が大事なのは確かだが、「善」の教育こそが大切だった。それをないがしろにし、競争…それも良い大学、良い会社に入るための、良い生活、つまりお金や贅沢をめぐっての豊かさ競争の教育に、いつしか堕ちたのだ。そんなのホントに大切か?(大切か)
結論。お花畑(善への意思)こそが教育だった。
『どうせ死ぬんだから』も『DIE WITH ZERO』も、何だかさもしく思えてきたわ(それ自体は否定しないが)
こんな日本にしてしまったのは俺ら世代の責任だ ! そう言ってきたけれど、違った。
こんな世の中にしたのは、俺のせいだ。
歩いて行ける距離にある、かかりつけの歯科に今朝、ウォーキングがてら行ってきた。途中に公立高校があり、野球の試合をやっていたので、スコアボード係の下級生に「どこの高校?」と聞くと「○○(その高校)」じゃなくて相手。「えーと、『日』と書いて…」(わかってない様子)「ちょっと待ってください」「あ、いいよ、ありがとう」(俺もそういう子だったよ)
そのまた途中、関越道の、走行車両が見える地点があって。1977年あたりに起きた「スーパーカーブーム」の頃、写真を撮りに行く同級生にくっついて来た頃は、途方もない時間を生きると思ってた、荒涼とした高速道路の風景(今や追い越して、俺のが先に死ぬ)
「最近じゃゴミのポイ捨てもなくなってキレイなもんですよ」年に一度は駆り出されるゴミゼロ運動の際に聞く、そんな美談は嘘だと知れた(畑道の両サイドはゴミだらけ。誰かの『善』のエネルギーが『悪』を上回っていたってことだ)
一足先に退職した先輩に、死んだ後のこと、知ったこっちゃあるかないか聞いてみた。今はニューエラの野球帽にしか興味なさそうな、永遠のアメカジおっさんである元上司は「子供たちに残してやる分はキチンと管理して。NISAぶっこんでる。そこまでは責任あるから。後は知らん」
普通の人、偉いなぁと思った。
「パターン化された行動や機械的な習癖-礼とは違う-は、まさしくわたしたちの生活を規定し、ほかの人を思いやる気持ちを妨げる。けれども、行動パターンを打破する〈かのように〉の礼を繰り返す人生を通じて、まわりの人に親切にするすべを感じとる能力が身につく。重要なのはここだ。この能力が〈仁〉すなわち、人間の善性だ」
(マイケル・ピュエット『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』早川書房より)
かのように、生きようか。
運良く溺死せず、まだ、ここにいる。
苦しみを望め !
今週も読んでいただき、
本当にありがとうございます !
貴重なお時間をつかっていただいたこと、
心より感謝申し上げます。
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