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僕はお医者さんになれない。

妻が帯状疱疹になってしまった。
それも顔面を中心にヒドイことになってた。

直視することができない。

これが逆の立場…だったとしたら、妻はどれどれ…とじっくりのぞき込んで、まずはしっかり「診察」してくれるだろう。

親が死んだときも、子どもが苦しんでいるときも、
異変に気づいてあげられないは重罪!
と深く反省したはずなのに…

現実見てないオッサン。
(自己弁護します)

前に「NLP」(神経言語プログラミング)の本を読んでいて、わたしたちの認識は、まずは感覚器官を通していわば「濾過」されるとして、

「V」(Visual 視覚的)イメージ
「K」(Kinesthetic 触覚的)フィーリング
「A」(Auditory 聴覚的)音
「O」(Olfactory 嗅覚的)匂い
「G」(Gustatory 味覚的)味 

つまり「五感」なんだけど
ここでは「4タップル」(4Tuple)と呼ばれていて、
(OとGはひとくくりにされて)
「V K A O」と記号化されて話が進んでいくんだけれど、
さらにそれを外界から入力される経験と、
内的に発生する経験とを区別するために、

「外部(External)」を表す「e」と
「内部(Internal)」を表す「i」を付けて、

例えば「V」で視覚的に目で見た情報でも
「Ve」と「Vi」とに区別していて。

なるほど自分は外界を視覚的に認識しているようでいて、
「内なる目」に傾きがちで、
気づけば内的な経験を「見て」しまいがちだな…
ということに気づかされた、わけ。

ちなみに『ストレングスファインダー』
※強みを発見するテスト
でも「内省」というのが一番にくる。

つまり見ることが苦手。映画もキツイ。
だから診察、とくに外科医とか。ムリ。
(そもそもお勉強ができないから無理な話だけど😂)


『改訂版 Magic of NLP』~解明されたNLPの魔法~
バイロン・A・ルイス
R・フランク・ビューセリック 著
北岡 泰典 訳
株式会社 メディアート出版
(2006年2月10日 改訂版2刷発行)


ともかく、そんなヘタレおっさんのわたしが、何かを売ろうとしたり儲けようとして言う訳じゃないから本当のことを言うんだけど(話が変わりましたよ 笑)糖尿病と診断されて、まずは医師の言うとおりに(なにも知らない訳だからさぁ)カロリー制限でやってみて、これじゃ足りないと糖質を落としてみて、とりあえず数値は良くなった。

それが糖質制限なのか、そう言うのが正しいかわからないけど、まあ糖質制限なんですよ(ただそれにともなうそれこそ個別なメニューみたいなディテールもあるからさ)それをすることによって他にもいろいろ良くなったことがあって、一番わかりやすかったのが、手指の関節の痛みが見事に消えてしまったこと。これはやはり「炎症」が無くなったと解釈する以外なくて(いわゆるメタボ炎症の解消)本当にビックリしている。ポイントはやはり内臓脂肪が一気になくなったこと。それ以外ないんですよ!

昨年の夏は糖尿病の初期症状が出て(それと気づいていないけど)大変だった。しかし今頃の、秋から冬には喉の渇きがおさまったので、また忘れてしまっていた。2月に内科で検査せずにそのまま、つまりその状態を可とするならば(これがいわば和田秀樹先生的な生き方の状態なのではと思うが)、今でも気づけずに甘いコーヒーを毎日飲み、夏にはまた異常な喉の渇きが復活してキリンメッツをがぶ飲みし、甘いお酒や甘いスイーツ、休日の楽しみカレーかラーメンも続いていたと考えると…恐ろしいですよ。

「週5のラーメン」それは、
いわば「血糖値スパイク的快楽」でしょうよ。

今朝、目に入ったツイッターを辿っていたら、

完璧に正しい?マジ?


医師で作家の知念実希人さんが、先日ここでふれた木下医師のことを「完璧に正し」いとツイートしてたの見てしまい…ちょっとどうなんですかねぇ、ってなってしまった。

さらには「2型糖尿病は治る/寛解する病気です」というツイートに対しても「練り直し」「再投稿」をすすめてらしたが…

わたしも治るっちゃ治った。



わたしもここに書いてきたように、当初だったら「糖尿病は寛解する」に完全同意だったろうし、この『note』ってそれを証明したくて始めたようなところもあったんだけれども、では元の食生活、生活習慣に(少しでも)戻したらどうなのか?と考えてみれば…数値も(少しでも)戻ってしまうだろうとしか言えない。

昨夜もかつての上司と飲んだ際に「ほんと、食が細くなったわ~」というんだけども、よく聞くと胸やけがひどくて、それが嫌で食べないようにしているということらしくて、あっ!と思った。つまり消化できなくなってるんだ。要するに「インスリン抵抗性」のことなんだと思う。わたしと一緒。少なくとも糖尿病予備軍。若いころと同じようには食べられないし、食べてはダメなのだ(言葉づかいで聞き逃す、見逃すことがザラにあるってことだ)

完全には元に戻らない、戻すことができない。
そういう意味ではやはり「糖尿病は治らない」が正しいのだ。

後はやはり、お酒がなかなか止められてなくて…

今年の2月、内科で糖尿病を宣告されるまで、悪いところ全てをつぶしていこうという自分内プロジェクトを地味に進めていたんだけど、それで2年前に仕事で傷めた「テニス肘」を治そうと根気よく接骨院に通っていて。

そこの待合室の本棚に、毎日新聞社の名物記者だった佐藤健さんの『生きる者の記録』(毎日新聞社)が置いてあり、久しぶりにバラバラめくってその頃を思い出したりしてた。

『生きる者の記録』佐藤 健と取材班
毎日新聞社(2003年3月15日 初版より)

29才だった当時、父親学級(お父さんの子育て)と称して地域の学校の体育館に『イチロー物語』を出したばかりの新聞記者が講演に来ると知り出かけた。結婚するまで実家では読売新聞を取っていたこともあり、佐藤健さんについては知らなかったんだけれど、まだメジャーリーグに行く前のイチロー選手がいかに凄いか、とんでもない身体能力を持っているかを身振り手振りで面白おかしく伝えてくださり(マウンテンゴリラの専門家でもあるとか言って)とーっても印象に残った、のだけれど…

『イチロー物語』佐藤 健
(1995年10月5日 初版より)
サインに日付も入れてくださってた

終わってから著書にサインをしていただくことができ、順番がきてご本人に近づいて気がついたのだが、とーっても酒臭いのだった。明らかに。

というわけで強烈に印象を残したそれ以降は、毎日新聞に署名記事が載れば食い入るように読んでいたのだが、ある日唐突に「定年を目前に『末期がん』を宣告された」で始まる『生きる者の記録』の元になる連載が(ドキュメント的に)始まったときには、その個人的な記憶が繋がってしまった。

(お通夜の席で)続いて立った雑誌『酒』の元編集長の佐々木久子さんの手にはコップ酒が握られていた。『そんなことを言うとあれなんですけど、健さんには「あんたは必ずがんになって死ぬ」といっていたんです。それはどうしてかといいますと、飲み方がなんにも食べないで飲むんですね。そういう飲み方をした人は、大体がんで死んでいます。きょうは、お通夜でまだここにご遺体があるみたいですから、耳が生きております(中略)どうぞ皆さんも、今夜はしっかりとみんなで飲んで、盛大に。悪口はいけませんよ。耳が聞こえますからね。ほめてあげて感謝してあげていただきたい」(P114)

ただ一度だけ、お会いすることができただけで、とても強烈で素晴らしい方だったのがわかったし、それは言うまでもないわけです。

酒くさかった。
そして生活習慣が気になった。

先週、ともに母校を訪ねて一杯やったTMさんが、

人間は言葉が遺伝子

と言ったけれど、それは本当だ。

ぼくたちはやはり、ただの生き物(を生きる者)なので、そこに返ってニュートラルに考えれば、最期には終わりの悲しみや寂しみや痛みや辛みからは逃れられないだろう。だとするならば、生きれてるうちにすらあるそれらと同時に、というか螺旋状に起きてくるよいことや楽しいこと、うれしいことや気持ちいいこと、の方をありがたく優先的に味わいながら生きていくのがやはり賢いのではないかな…などと今週ずっと考えていたのには実は山田太一さんの『生きるかなしみ』という本のタイトルがベースにあったんですよ。

持ってる文庫本が出てこないや

そしたら週末に山田太一さんが亡くなってしまったニュースが来て、虫の知らせだったのかと思ってしまった。

40年ぶりに観てみた。やっぱいろいろ思うよね。

「この世に甘美な物は、どれ程あるだろう。紛れもなく、美しく甘い、シャトー・ディケムやジレといった、黄金色の酒。秋の木の実をたらふく食べた野鹿の、南海の花粉のような芳香を発する肉、唇の先で震える片貝の腸の凍てつくような歯ざわりにも、形容を越えた味わいがある。
しかしまた、夏の夕暮れに、路地に打たれた水から立ち上る匂いも甘く、冬の終わり、深酒に浸った早朝に見る、白木蓮の蕾の先の尖りも甘い。普段見逃していた、屑鉄か何かがおいてある近所の空地に、夜目突然満開で現れる桜も、恐ろしく、甘い」

「訪れそびれてしまった人の、部屋の鍵がポケットで立てる音。借りたままになってしまった、名前も知らない娘のハンカチの手触り。突然、それと解る失態の気配。かつての女王が、耳許にかすかに残す面影」

「無為に暮らした時間が、過ぎ去って行く速さも格別に甘く、突然蘇る、遥か昔の裏切りも、仄かに甘い」

「生きているという事自体が、その味わい嘗め尽くすべき瞬間と我に反る機会の総てに於いて甘美たりうるし、残酷な程甘い物である。此岸を「彼方」として生きる明確な意思さえあれば、人生は「甘美」な奇蹟で満ち溢れる」

(福田和也『甘美な人生』ちくま文庫より引用)

昨日も“下北沢にて“大森さん観てきた。
(毎回行ってよかった~が続く!信じられる?)

動画ヘタで撮れないからTOさいとうさんの、
お借りします🙇

今週も読んでくださり、
ありがとうございました。
もう師走、ですが、
師走っておもうから師走なのかもだし、
あまり、暦にとらわれないで、
いつも通りの12月もいいかもです。

今週もまた、お体に気をつけてお過ごしください。

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