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叶うなら、父のご馳走をもう一度

わたしが高校に進学した頃、父方の祖母が施設に入った。認知症が進行してきたからだ。

幼い頃は、月に一度は祖母の家に遊びに行っていた。祖母の手料理が何より楽しみだった。少し味付けの濃い、わたしたち孫が好きそうな品々が食卓に並ぶ。いつも食べきれないほどたくさんで、どれもが美味しかった。

正月には仕込みから三段のおせちを手作りし、お盆にはお手製のおはぎを用意してくれた。両親と3人兄弟の5人家族の中で、あんこが好きなのは父とわたしだけだったので、おはぎはいつも2人で食べ、残りはお土産として持って帰った。いかにも手作りといった、つぶが粗く残る小豆やもち米の食感が楽しく、素朴な甘さが好きだった。

父はいつも、実家に帰ると食べ過ぎて太ってしまうと頭をかきながらも、嬉しそうだった。それが幼い頃の、毎月お決まりの光景だった。

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施設に入るカウントダウンかのように、祖母は自分の感情をうまく伝えられなくなったり、外出先でどこかへ行ってしまったり、そういった“兆候”みたいなものが積み重なっていった。
認知症は少しずつ、しかし確実に、わたしの知っている祖母をどこか遠くへ連れて行った。目の前にいるのが、良く似た知らない人のように思えてしまって、中学生のわたしには正直、気味が悪かった。わたしの名前を思い出すのに時間がかかっていくことは、特に受け入れられなかった。

高校は実家を離れ、都内で寮生活をしていたため、祖母に会いに行けるのは、夏休みと冬休み、春休みの年3回だった。

ベッドと洋服ダンスだけが置かれた施設の一室はとても無機質で、部屋の壁は不気味な白さに感じられた。
会うたびに、祖母は段々と反応が少なくなっていった。母からは、手を握ってあげて、呼びかけてあげてと言われるが、思春期真っ只中のわたしは、それが善いこととわかっていても、なかなか素直になれなかった。ちょっと照れくさそうに、そして面倒くさそうに、祖母の手を握り、声をかけた。

さみしさやつらさみたいなものが少し込み上げ、じわっと広がった。

わたしたち3人兄弟が祖母に話しかけている時、決まって父は施設の人と話をしていた。祖母の日誌か何かを見ながら話す内容は聞こえないけれど、回復に進んでいないことくらいはわかった。それでも父はいつも、たぶんお金のこととか今後のこととかについて、淡々と受け答えをしていた。

さみしさやつらさみたいなものは、父からは見て取れなかった。

***

大学に進学すると、祖母に会うのは盆と正月の2回に減った。当然、おせちもおはぎもなかった。祖母はもう、ほとんど寝たきりだった。母も、声をかけてあげてと言わなくなった。そのことが、何だかとても決定的なことのように思えて、胸がえぐられた。

わたしはわたしで蚊の鳴くような声で、おばあちゃん来たよと言い、手のひらや頭を少し撫でてあげるので精一杯だった。わたしの声は、祖母の耳に届く前に、不気味な白い壁に吸い取られているようだった。

父は変わらずだった。

***

大学4年の冬のある日、ひときわ寒い日だった。
母からの一本の電話で、祖母が帰らぬ人になったことを告げられた。

突然という感情と、とうとうという感情が混ざりあったままわたしは、喪服をスーツケースに詰めて鈍行列車に乗り、実家へ向かった。
葬儀は次の日執り行われた。

斎場に着いても、父は葬儀の段取りや親族への挨拶など、いつもと変わらず淡々としているように見えた。

「本日はお忙しいところ、母のためにお越しいただき、誠にありがとうございました」喪主の挨拶が始まった。父の言葉はまだ、いつも通りだった。

「小さい頃から母がよくおはぎを作ってくれまして、それが私の大好物でした。そのおはぎをもう食べることができないと思うと」

次の言葉はなかなか続かなかった。
父は目頭を押さえ、大粒の涙を流していた。

祖母が施設に入ってからの7年間、いつか訪れるこの日が、少しでも先延ばしになることを願いながら、生きてきた。
わたしたち子どもの前では、弱いところは見せず、一人で全て抱えて背負って。大丈夫なふりをして。淡々として。

父のことだから、きっとそうだ。

わたしが生まれるずっと前の、若い祖母と幼い父の思い出。
祖母とお別れのこの瞬間、父はわたしの父としてではなく、息子として、祖母と過ごした大事な時間を思い出したのだろう。

とめどなく溢れた父の感情に触れ、わたしもやっと、祖母がもういないことを受け止められた。
さみしさやつらさなんて言葉じゃ言い表せないものが一気に押し寄せて、わたしも泣いた。止まらなかった。

挨拶を終え、席に戻る父の背中は少しだけ小さく見えた。父の涙を見たのは、後にも先にもその時だけだ。
頬をつたう涙を静かに拭いながら、父の息子でよかったと、強く思った。

***

社会人になった今でも、実家に帰省すると、食卓にはよくおはぎが並ぶ。
わたしが帰ってくるからと、父が上機嫌で買い物カゴに入れたらしい、スーパーの総菜コーナーで買った出来合いのものだ。味はそれなり。

相変わらず食べるのは、父とわたしの2人だけ。

美味しそうに食べる父を横目に、祖母のおはぎをまた一緒に食べることができたらと、密かに願うのだった。


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このnoteは、鶴さん(@dmdmtrtr)がお声がけしてくれた年の瀬にエモ散らかし隊 Advent Calendar 2019の一環の記事です。

サポートをいただいたら、本屋さんへ行こうと思います。