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映画「偶然と想像」を見タ

映画「偶然と想像」を見た。

第一話に出てくる和明を見て、この独特な話し方をする人をどこかで見たと考えていた。途中で「いとみち」に出ていた雇われ店長だと気付きスッキリした。「いとみち」で独特な間で喋る人だと思って印象に残っていた。「偶然と想像」でも独特な間で喋っている。人の顔と名前を覚えるのが苦手だが、これで演じる中島歩さんを完全に覚えた。

三つの短編から成る作品で、どれもイライラと少しの多幸感がある。見て浮かんできたのは、”普通といわれる領域”と”それ以外の領域”と”その二つの領域にある境界線”である。

どこの領域に立っているの?
どこに境界線を引いているの?
そもそも領域が分かれていることが正しいの?
自分が思っている”普通”は、他の人の”普通”なの?

登場人物が互いに言葉を積み重ねていく姿に、それらの疑問が浮かんでくる。”普通”とは人それぞれの意識の中で、勝手に築き上げているものだと思う。勝手に築いているのに、自分は普通だとか、自分は普通ではないと勝手に決めている。そして残念なことに人間は自分が決めた”普通”というものを他者と共有することができない。自分の中でゴチャゴチャと考える能力はあるけど、他者の頭の中を覗けれる万能さは無い。覗けないから、言葉や行動などで他者へ意志を伝えていく。それでも、人間は不器用だから正確には伝えることはできず、意志を言葉などに変換する工程でミスが発生し、誤解を招くことがある。今作のイライラする部分は、人間の意志を伝える不器用さを描いている気がする。だからこそ、少しでも意志が伝わる姿を見た時に多幸感を感じるのだと思う。

私は映画や本の感想を語る機会が無かったので、具体的な言語にしないで心の内に秘めていた。だから、今になって意志を言語化することに苦労している。意志から言葉に変換するミスが多発して、しっくり来ないことが多々ある。だから、苦労した結果、意志が相手に伝わった時の嬉しさがある(相手の考えと同じか違うかは関係なくね)。これからも、下手くそで変換ミスの多い文章でも自分の意志を他者へ伝えるために言葉を連ねていこうと思う。続けていけば変換ミスが減っていくといいけどね…
もちろん、他者の言葉を聞くことや読むことも同じく大切にしていこうと思う。


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