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「取り残された木更津」を探しに(2)ー千葉県木更津市

東京湾アクアラインの開通によって、木更津の「光と影」は明確に分かれた。郊外を中心に「光 」が射す一方、中心市街地は影として、その恩恵から完全に取り残れることとなった。それを象徴する建物を見に、再び駅へと戻ることとする。

木更津駅前に「スパークルシティ木更津」という商業施設がある。木更津の商業施設ではもっとも高い9階建てのこの建物は、もともと、駅前再開発事業として建設され、1988年に完成した。その際、キーテナントとして入居したのが「木更津そごう(当初はサカモトそごう)」で、開業後は「南房総地域唯一の百貨店」として集客力を存分に発揮した。
しかしながら、90年代中頃に入ると、郊外に相次いで誕生したショッピングモールに客を奪われるとともに、アクアライン開通による東京や神奈川への流出が顕著となる。さらに、そごう自体の経営悪化が重なり、2000年、「木更津そごう」は破綻した。それ以降、この建物は何度も運営主体を変えつつ、現在まで至る。

まずは、その現状を見てみよう。


建物の案内板をみると、まず「coming soon」と称して事実上の空きとなっているフロアーが3つも存在する。他方で、入居しているフロアーを見てみても、木更津市役所やハローワークなどの公的機関が目立つ。空いた商業施設に公的機関が入ることは、めずらしくはない(土浦市役所や新潟市中央区役所など)が、木更津市の場合、それは暫定的なものにとどまる。

かつて、港付近に位置していた市役所は、耐震性が確保できないとして、完成後50年を経過することなく、市は建て替えを決定した。しかし、東京五輪開催に伴う建設ラッシュの影響を受け、建設費が高騰した結果、入札が不調となり、市は五輪後の建設に方針転換。それまでの間、一部の部署はこの空いた建物に入居している。言い換えれば、そう遠くない未来に、市役所はここから撤退することになる。そうなれば、2フロアーが新たに「coming soon」となるのだろうか。

さて、いくつかのテナントが入居する2階へ上ってみると、やはり空きスペースが目立つ。しかも、状態が妙に生々しい。以前は化粧品店があったのか、鏡が設置されたまま。

また、ゲームセンターの跡地なのか、機材はそのまま放置されていた。

かろうじて営業中と思われるジュエリーショップは、店員はひとりもおらず、セキュリティは大丈夫なのかと、余計な心配を抱く。


次に3階以上への移動を試みるも、エスカレーターは2階まで。これより上に向かうにはエレベーターを使いざるを得ない。乗り場に向かう前に、2026年のサービス終了が発表されたFOMA(ドコモの3Gサービス)の看板が目に入る。FOMAの停波とこのビルの解体は、どちらが先なのか、ふと考えてしまう。


上層階に向かうため、エレベーターに乗るも、次は6階まで止まらない。そして、やはり6階も広大な空きスペース。その隅には、市の中央公民館がある。そこでは、相当の間隔を開けて、机が配置されており、木更津の子どもたちが黙々と勉強している。自習するには贅沢な環境だが、どことなく寂しく感じる。


前身の「アクア木更津」からのキーテナントだったダイソーは2019年に閉店。2017年に開店したドドールは、わずか1年で閉店したことからも、活性化の道は途方もなく厳しいといえよう。
「縮小再生産」を繰り返すこの建物のなかで、かつて「小売の王様」と呼ばれた百貨店だった形跡を見つけるのは難しい。小さな試行錯誤の努力を掻き消すほどの、圧倒的な空白に包まれる建物は、ただただ、解体の時を待つ巨人に過ぎない。

これまで見てきた中心市街地の荒廃とは対照的に、郊外の未来は明るい。今年の夏には、ポルシェが日本初のブランド体験施設をオープンさせる。さらに来年夏には、コストコの本社が「川崎から」移転してくる。これは、アクアラインがもたらしたストロー現象を反転させる動きといえよう。
かくのごとく、減少傾向が続いた人口も持ち直し、ついには増加に転じた。さらに、中心市街地の地価の低下を上回る勢いで郊外地域の地価も上昇した。
これらのきっかけとなったアクアライン、その唯一ともいえる弱点だった高額な利用料金は、2009年以降、社会実験と称して減額されており、それがアクアラインへの集中をいっそう強くしている。

アクアラインの発展とパラレルに、鉄道の衰退が進む。今年の春のダイヤ改正で、内房線のワンマン運転が一部で開始された。それに伴い、編成両数も2両となっている。また、木更津から房総の奥地へ向かう久留里線は、輸送密度と営業係数でみると、廃線寸前の東北地方のローカル線と変わらないほど利用が低迷している。アクアラインという一大事業が房総地域の鉄道に与えた影響は、あまりに大きい。

木更津において、アクアラインが誕生したことで生じたフロンティアの開拓が実を結ぶ一方、中心市街地の空洞化、インナーシティ化は顕著となる。郊外が輝きが強くなればなるほど、中心市街地の荒廃が際立ってくる。
もっとも、すべての物事と同様に、それは良くもあり、悪くもある。しかし、この「功罪」が「悲劇」とも思えるほど先鋭的に現れている街、それが木更津であろう。

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