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「鬼」——『さよならデパート』ができるまで(8)

ほんとに、生きている人の全てに「自伝」を残してほしい。
昔の偉人や経営者については伝記なり自叙伝なりが出版されている場合が多いので、歴史を扱う際には大いに助けられる。

もちろんそういった書物は、主人公に都合のよい編集がなされている場合もあるだろう。他の資料も参照して別の角度から検証するなど、慎重に接さなければならない。
そういった注意は必要だが、資料があるとないとでは時代の解像度が違ってくるのだ。

この章に登場する「鬼」については、いくつも伝記が存在する。
明治初期に激しく変動する山形の姿は、それらがなければひどく体温の低いものになっていたかもしれない。
先人の熱心な研究に頭が下がる。
お墓の場所が分かりさえすれば、足を向けては眠れないだろう。分からないので、今はちょっと自由な感じで就寝してますけども。

一方、現代は個人の履歴を記録・発信する素晴らしいツールにあふれている。このnoteもそうだ。InstagramやTwitterもそうだ。
ウェブ上に残る思い出の集積によって、100年後に生きる人々は、平成以降を鮮明な形で把握できるのではないだろうか。

これが江戸時代にもあったら、と無意味な空想にふけることがある。
もし秀吉がスマートフォンを携帯していたら
「信長先輩の草履を温めておいたら、めっちゃ褒められた。まじエモい」
などと投稿していただろうに。
歴史研究家たちの大きな助けになったはずだ。

だけど、手軽さゆえに失うものもあるだろう。
詳細さを欠いたり、時にうそをついたりだ。

だから「自伝」を残してほしいのだ。
自らの人生を冷静に見つめ直し、じっくりと回想し、あらゆる経験を文字にする。
教科書に載るような出来事じゃなくていい。「あの店のあんパンをみんなで取り合いしていた」とか、そういうことがいい。

それらを集めて、「昭和〜平成〜令和」という時代を緻密な彫刻に仕上げるのだ。この社会を次世代に手渡す者たちの役目なんじゃないかと思う。

自分じゃ難しいという方は、私にご相談を。話を聞きに飛んでいきます。実際は車で行きますが。

さて今回の主役は、山形に乗り込んできた「鬼」だ。

【ここから本編のネタバレあり】

初代統一山形県令「三島通庸」には悪評が多い。
彼について書かれた資料を開いてみると、官庁街建設の強引なやり口が連なっている。

用地を確保するのに住人に立ち退きを迫り、応じなければ「じゃあ、ここは県のものにする」と屋敷を縄で囲んでしまう。
いざ建設を進めれば費用がかさみ、足りない分を補うため金持ちに寄付を要求するというありさまだ。

ある者は正気を失い、ある者は首をつって死んだという。
それほどまでに三島の手腕は鋭利だった。
県民から批判が噴出したのも当然だ。

だけど、衰退した山形に復活の光明が差したのも、彼の苛烈な行動力があったからだろう。人の顔色を見つつ判断を下す県令だったら、こうはいかなかったかもしれない。

当時の人たちに悪いと思いつつも、私は心のどこかで三島の背中を押していた。彼が幼い頃に味わった、弟の悲劇を知っていたからかもしれない。

——行け。もっとやれ。
資料の中の彼は、私の応援など不要だと言わんばかりに辣腕を振るっていた。

【ネタバレ終わり】

第3章を書き上げた瞬間、私の中には奇妙な感情が生まれていた。
満足感のような、罪悪感のような。それらをぐちゃぐちゃにしたような不思議な気持ちだった。

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