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球体説と原子論と血液循環説

これは現代のほとんどの人が知らないことだが、地球は丸くなくて宇宙空間というものもまた無い。これは観察によって直接にわかることであり、一般情報によっても間接的にはわかることである。だが現代のほとんどの人がこのことを知らない。巷間よくあるような書籍やウェブサイトでは特に「地球が丸いこと」に関しては、"現在では私たちの誰もが知っていることだが"とか、"今では常識として自明のことで"みたいな言い回しを用いて地球が丸いことは誰にとっても当たり前のことだと語られているのを目にすることがしばしばある。宇宙空間の存在のほうについては、もはやそれを書き手と読み手で確認し合う必要すらないと考えられているからであろうか、そのような断りはまずなんのひとこともない。そう思うと地面の形状に関してはその断りが必要だと自然と見做されているのであろうかと思うと興味深いが、この「当たり前だけども一応確認しとくね」の独特の調子の語り口と振る舞いは、実は原子論においても散見される。

地球や宇宙空間などの"ものすごく大きいとされるもの"に関してが間違いであり、また科学権威やその界隈や教育が間違っていることがわかった後では、物質が原子や分子などの"ものすごく小さいもの"から成っているという原子論に疑いの目が向くのはわりと自然ではある。くるくる回るという構造も似ている(これは最近では雲のようにモヤッとしているという見方もある)。そこへきてやはり「物質が原子から出来ているということは今では疑う者は誰もいないが」みたいな、どこかでよく聞いたことのある言い方で語られているところに出くわすと、オイオイオイやっぱりそうなのかよ、という気持ちにはなる。とはいえ、原子論は直接に観察できないので、その代わりになる論が立ち上がりにくい。今のところ、どこまでも疑いでしかない。

さらにこの球体説と原子論に登場する『現在では自明の常識でこれを疑う者はいない"節"』はこれにとどまらない。なんと医学の領域である「血液循環説」にも顔を出す。"現在の私たちは誰もが知っていることだが、血液は心臓から出て心臓へ戻って循環している"みたいな言い方をするときがある。気になってググってみると、僕の体感では医療機関や団体のウェブサイトの約3割の確率でそのような言い回しが出てきた。これはどえらいことである。つまり端的に言って、血液は循環していない可能性があるのだ。

この血液循環説は近代医学の始まりであると見做されることも多い。コペルニクスと並んで、その提唱者ウィリアム・ハーヴェイの名が語られる場合もある。彼らは弩級に画期的な発見をして近代への扉を開いたということだ。活動時期も近いといえば近い。しかしもちろん西洋医学が悪魔的なポンコツコンテンツであることはコロナ茶番でもうすでに重々承知である。そしてその現代西洋医学のスタート地点であるらしい「血液循環説」が、"これを疑う者は誰もいない常識である"という口調で語られているのだ。どえらいことである。

先ほども言ったように原子論では代案を出すのが難しく、ギリ言えるならアリストテレスの「物質はなめらかな連続体である」という程度でしかないように見える(ちなみにこれは真空の存在を否定している)。そこで血液循環説ではどんな代案があるかというと、ハーヴェイ以前にガレノスという人物の説が約1500年ものあいだ支持されたという歴史はある。ハーヴェイがコペルニクスなら、ガレノスはプトレマイオスである。そのガレノスの説では、血液は心臓で送り出されるが循環せずに末端で消費され、静脈の血では現在と同じで各種の"栄養"が、そして動脈の血には肺を通じて取り入れられたプネウマと呼ばれる"気"のようなものが、それぞれ全身に運ばれるというものである。そしてこの説は古代中国の医学や現代の東洋医学とも通じるところがあってとても興味深い。これは現代のフラットアース説がかつての中国天文学における宇宙観である「蓋天説」とほとんど同じであることとも似ている。でもだからといってガレノスが正しいと言うつもりはもちろん無い。ただ単にその"語り口"が気に喰わないというだけである。とはいえもちろん現在の私たちにはそんなのいろいろと自明のことではあるのだが。

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