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コロナと都市集中と建築家の自己批判

久しぶりの投稿となってしましまった。2021年度の緊急事態宣言から穏やかな仕事の始まりで、日々の考えをnoteに綴ろうと始めたが、バタバタと環境が変わりあっという間に日が経ってしまった。反省。

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ところで、学生時代は仙台メディアテークに卒業設計を出したりと根っからの建築学生の私だったが、今では人々のライフスタイルに興味がある。コロナ禍で消費者の行動変容が顕著な中益々その興味は深まる。

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さて、建築学生の頃からのアイドル建築家は「隈研吾」氏である。ずっと一線で活躍し建築系紙面以外のメディアでも良くお見掛けする。21年3月14日の日経MJにとても興味深い記事が載っていた。以下抜粋

コロナは人類の歴史の折り返し地点。今までは定住への「分散」から「集中」の中で超高層ビルと言う閉じた世界を作ってきた。建築家はその「集中」への主力メンバー。建てる事が自己目的化になっていた。私自身その担い手として自己批判のつもりで言っている。

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との記事。旧来のビジネスモデルかつリアルの存在価値である不動産はコロナ禍でもっとも進化・次世代を見出せない業種の一つ。しかしこのような内容が第一線の建築家から発せられることに明るい未来を見た気がする。

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そんな中、昨年訪れた高知県ゆすはらにある隈研吾氏の図書館を思い出した。一つ一つは小ぶりだが、自分の足で回れるコンパクトな街に隈研吾氏が建てた建物が点在し、豊かな自然環境ととても良い滞在体験を提供している。街や商業も同様で、「集積」する時代が終わり、「適度」で「自分的」で「自然」的なものが求めれれている。

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※20年8月撮影 α6400 SIFMA1.8_30mm



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