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シティ感覚で天下一品を食べることこそアーバンなライフスタイル。


ヤンク・ロックとシティ・ポップは表裏一体。遠いようで近い。アーバン・メロウな夜景の先に見えるのは地方都市のローカル・ルールに縛られた身動きできない停滞した空気感。だが、その「停滞」は独特のムードを醸し出す。

と、それらしいことを書いてはみたものの、たいしたことを言ってるわけではない。いつだったか、7〜8年も前になるだろうか。かつて自分が10代の多感な時期を過ごした地方都市を訪れたことがある。人口密度と比例しないパチンコ屋、スターバックスと熱烈中華食堂日高屋みたいなローカルラーメンチェーン店、消費者金融と予備校という景観もクソもない駅から見える風景はかつて自分が暮らしていた頃よりも「都市化」していた。昔あった高校生の立ち読みスポットの大型書店は消滅し、単なる風俗街になっており学校帰りに利用していた激安ラーメン屋もなくなっていた。駅前から少しだけ歩くと見える歩道橋は錆びまくって危険な匂いしかしないし、なによりひなびた田舎ならではの光景がひとつもないのだ。ああ、懐かしいと甘い感情を呼び起こす要素皆無。むしろ一刻も早くこの街を出なければいけないという焦燥感が湧き上がるぐらいだった。

たしかに。当時ボクはぼんやりしたボンクラ高校生だった。友人にさそわれバンドを組むも与えられた曲はレベッカの「ラズベリードリーム」にアン・ルイスの「六本木心中」、アルフィーの「星空のディスタンス」。ヴォーカルは近くの女子校に通う女の子だがもちろんルックは微妙。いっせーので爆音が鳴った瞬間、その子の声はかき消される。それぞれがフルヴォリュームで爆音を鳴らしヴォーカルの女は精一杯のシャウトを真っ赤な顔で全身全霊エネルギー一挙放出。スポーツか。いや罰ゲームか。だけど当時の田舎のコピーバンド、まして高校生ならそんなもんだったんじゃなかろか。行き場のないリピドーをただぶつけるだけの手段。あのときのリハ音源テープ、もし残ってたら即焼却処分だよな。おそろしい出来なので。

そんなローカルな環境だからこそ、ひとはないものを求めるし憧れる。アーバンでメロウ、もしくは「イカ焼き」屋台なんて存在しない海岸沿いのドライヴィン・ルート。パームツリーと真夜中までやっている粋なカフェ。完全妄想である。実際走ってるのはピンクの内装のスカイライン(土足厳禁)、カーステからは三好鉄生「涙をふいて」と横浜銀蝿(ラストシングルは当時近田春夫も絶賛した名曲「哀愁のワインディングロード」)。セブンイレブンは23時で閉店、駅前にあるファーストフードはロッテリアで吉野家もケンタッキーもない風景。パームツリーのかわりにあるのはカラス除けのかかしと田んぼ道。ついでに言えば週刊少年ジャンプの発売は毎週火曜と信じていた80's。今はどうかは知らないけど、空気感含めて大枠変化はないと思ってますよ。FM局はNHKのみの世界で雑誌「FMstation」を読みながら聞けもしない番組を妄想する虚しさってわかるかい?なんだ、この「かい?」て。

そんな情報過疎ローカルで長年日々を過ごすと関西はすべて「じゃりん子チエ」な世界やんケと思いこむし(実際そんなことはない)東京でも葛飾区はメジャーで浅草行ったら大黒家で天丼食わなきゃいけないと信じてしまうようになる。行きましたよ、高3の春に。ロッキンオンの巻末に掲載された中古レコード店の出稿切り抜き片手に青春18きっぷで上京ショートステイという名の日帰り強行軍。帰りの電車で床にレコード直置きしちゃってそり返っちゃってさあ、泣けたな。そのレコード、いまでも反ったままだぜ。できたばかりの東京ドームも行った記憶あるけどまったく覚えてないんだよなー。

なんてことをダラダラ思いを馳せながら深夜天下一品にチェックインした(wow)ラストナイト。混んでてボクの座った席には餃子用のタレすら置いてない状況だったんだけど、隣に座った若きカップル男子が「オレ、使わないのでどうぞ」とスマートに譲ってくれたのに感謝。東京っていい街だよなァと左とん平なのか柳沢きみおなのかもはやよくわからない感想だけどよかよか。


天下一品てやつは急に食べたくなる。物価高の影響もろに受けてセットも高騰してるけどワールドクラスじゃラーメン一杯3000円がデフォになりつつある異常な現代社会。いや、今までが異常だっただけなのかもよ?とも思ったり。しかし京都住んでた学生時代からするとイイトシして天下一品食い続けるとは思わなかったよ。もうちょいとアーバンなライフスタイルを楽しむ大人になってるはずだったんだがな。趣味嗜好、行動含めてなんにも変わってねえでやんの。さて週末は車でルート134あたりを飛ばしながら葉山あたりを目指してみようかなってウソだよ!



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