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藝人春秋Diaryをめぐる長き旅路(仮)第1章抱いた腰がチャッチャッチャッはザ・ベストテンのスポットライトで観たんですよね。その1

いきなりだがKのことを書こうと思う。

Kは高一のとき同じクラスだった。
趣味はバスケットボールで「ダッシュ勝平」を読み、バスケをやろうと志した体育会系男子で
とにかくひとがいいのがとりえの男だった。ニカっと笑うとゆでたまごの「キン肉マン」そっくりで夏になるとタンクトップでガチムチ筋肉を誇らしげにアピールしながら街を闊歩、フェイバリット・アーティストは久保田利伸と大澤誉志幸で毎週かかさず週刊少年ジャンプの「北斗の拳」を読む生真面目なやつだったことは記憶している。(ちなみにボクは圧倒的に「きまぐれオレンジロード」派だった)

ちなみに彼とは福島県の某温泉旅館で一緒に住み込みのアルバイトをした中であり、ボクはそのバイト料でフェルナンデスのストラトキャスターを購入、KはDCブランドの服を買い込んだ。田舎に住むボンクラな高校生にとって、エレキギターを買う手段は他になかったのだ。10日間ぐらい住み込みで働いた気がするが日給換算でいくらだったんだろう。貰ったのはたすか5万円もなかった気がするが。


温泉旅館の朝はとてつもなく早い。
バイトの起床は早朝ロケに向かうAD並、もしくは音楽番組生放送における新人バンドにありがちな朝5時スタートだ。温泉入り放題という甘言に釣られてきた「色即ジェネレーション」なボクは完全に騙されたと思った。

もともとこの旅館はKの叔母さんが経営しており「温泉入り放題だし女子大生とかお客さんでくるんだよねえ」と電撃的ステキな誘いに乗らない男子校に通うティーンネイジャーは信用しちゃいけない。まあ乗るよね。

番頭に叩き起こされ、ボクとKは眠い目をこすりながら朝1番の仕事に向かう。
大広間には前日のうちから朝食用の御膳を並べておき、当日はデジタルに朝食セットをどんどん置いていく。
ボクらの朝ごはんはお客さんの朝食ラッシュが終わってからで、それすらただ山盛りのどんぶり飯を卵一つでかっこむのみ。それが終わればチェックアウトタイムのラッシュが始まる。客室の掃除を終え、午後から旅館にチェックインする15時前後までがボクらの自由時間だった。夜は夜で夕食の準備が始まると旅館は戦場と化す。
荒くれた板前はバイトのボクらにまで包丁を持たせ「高校生なんだから刺身ぐらい切れんだろ?」とマグロの赤身で花の作り方を教えてくれた。今の時代なら絶対にダメな指示でTwitterあたりで告発されたらアウトなやつだけど。

バイト仲間で近くの農業高校から来ていたヤンキーな連中は「おい、女湯覗きに行こうぜ」と発情期の健全な高校生らしき行動をとっていたが、生真面目なKはそこに同行しなかった。斉藤由貴のファンを公言していたK、小学館から発行されていた雑誌「GORO」の激写グラビアを律儀に切り抜き保存してたはずなのに。とにかく女性に対してはかたくなにピュアネスな男だった。「土曜日の玉ねぎ」をこよなく愛するKにとって女湯の覗きなど言語道断な行為だった。ちなみに女子大生なんて来なかったことは付け加えておく。

そんなピュアな男、Kの夢はたけし軍団に入ることだった。ビートたけしのオールナイトニッポンのヘヴィー・リスナーで愛聴曲は「BIGな気分で歌わせろ」。
Kは口癖のように「鈴木ちゃん、どうして「抱いた腰がチャッチャッチャッはベストテンにランクインしなかったんだろうねえい」と粘着質な口調でボクに問いかけてきた。好きなアーティストは?の問いにKは大澤誉志幸をあげた男だが、それすら大澤が(たけしに)曲提供したという、ただそれだけの理由だ。

この時期の大澤誉志幸は今でいうところのKing Gnu常田級にソングライターとして注目を集めていた。渡辺音楽出版に在籍する天才プロデューサー、木崎賢治が推す次世代を担うネクストブレイク必至の天才ソングライターは中森明菜、吉川晃司、沢田研二に80年代最先端なヤングブラッズを注ぎ込み、既存の職業作曲家には絶対にできないパンキッシュでソウルフル、だけどキャッチーでカラフルな楽曲を世に送り出した。だって沢田研二が迷彩服着てジャングルビートで銀色夏生の歌詞で「晴れのちBLUE BOY」ですよ。ヤバくない?

その大澤がビートたけしと組んだのが「抱いた腰がチャッチャッチャッ」だ。R&Bマナーを踏まえつつポップで切ないメロが絡む名曲だ。大津あきらの歌い出しの歌詞など最高じゃないか。「思いきりろくでなし」だよ?

Kが正当にこの曲を理解してたかはわからない。ただKがこの曲を愛してたのは事実。自転車通学の彼はAIWAのウォークマンで日々朝から「抱いた腰がチャッチャッチャッ」を爆音で鳴らしながら登校してきたから。

たけし軍団のKの推しメンはラッシャー板前、松尾伴内というマニアックな嗜好。
「東やタカさんはボクが応援しなくても大丈夫じゃんね。あのひとたちはそのうちとんでもない売れっ子になると思うんだ。それよかラッシャーと松尾だよ。ボクが応援しなきゃどうすんのさ」と毎週日曜日、Kは自ら儀式と称してチャンネルを日テレ系にあわせ「ビートたけしのスーパージョッキー」を観ることを義務づけていた。

なので彼の価値観弾はその番組に出演してたかどうか。
ある月曜日などKは大声で歌いながら登校してきた。


あの娘はあの娘は素敵だね 

君はMisty!浜辺で一番のダンシング・クイーン


おそらくいま、この歌詞だけで「おお、この曲」とわかるひとは皆無だろう。わかったひとはすげえよ。
ボクはたまたま前日スーパージョッキーのオンエアを見ていたので反応した。
「その曲昨日出てたあのバンドの曲でしょ」
「そうなんだよね。番組最後に出てきたんだけどサザンっぽくて売れると思うんだよ」
ザ・ベアーズ。鍵盤が女性って段階で初期サザンをイメージしてるのがわかりやすいほど明確なバンドだった。所属レーベルは徳間ジャパン。今思えばリードヴォーカルがホンジャマカの石塚似だったなとか思うが、特に印象がないバンドだったのにKは熱唱している。
「なんてったってスーパージョッキーに出てたバンドですよ。たけしさんも推してるに違いないでしょ」

Kにとってスーパージョッキーに出演したアイドル含めたアーティストはすべてビートたけしが推しているという解釈になっていたのだ。この時代の田舎のティーンネイジャーはおそろしい。だって妄想が現実なんだもの。

ちなみにこのバンドは次作「想い出のLOVE SONG」リリース時もスーパージョッキーに出演していた。まるで「いとしのエリー」かと思ってしまうバラッド。ノリのいい曲→ソローバラードというリリース順もサザンを意識してのことだろう。もちろんブレイクしなかった。プロモーションやビジュアル、楽曲スタイルを踏襲するのと売れるのとでは違うし、田舎の高校生に見破られる程度じゃダメだろう。案の定、売れることなくこのバンドは藻屑と消えた。

とにかくKの基準はスーパージョッキーだった。
「いつか俺もたけし軍団に入って熱湯風呂に投げ込まれたいんだよね。二軍でも三軍でもいいんだよ。ねえ、鈴木ちゃん。俺は東京へ行くよ。大学でも専門学校でも口実作って弟子入り、、、いやたけし軍団に入りたいんだ」オールナイトニッポンの出待ちもできず、よみうりランドEASTでのビートたけし&たけし軍団COUNT DOWNのライブも行けない田舎の高校生、Kはボクの目からも焦っているように見えた。
「時間がないんだよ、鈴木ちゃん。だってさ、時代は変わるんだよね。欽ちゃん(萩本欽一)を見なよ?」

たしかにこの時期、欽ちゃんファミリーは急速に勢いを失っていった。わらべの「もしも明日が」以降の活動をそらで語れるやつがどれぐらいいるだろうか。
倉沢淳美は84年にソロデビューするも、シングルを出す度に売上は落ちていき、風見しんごは「涙のtake a chance」以降ブレイクダンスで日本中のキッズを熱狂の渦に陥れるが、「泣き虫チャチャの物語」という本人いわく「吉川晃司を意識した」シングルを最後に俳優/ヴァラエティタレントへの道を歩み、いずれにせよ「視聴率100%男」が自らその立ち位置から降り始めた時期でもあった。

そんなKとボクは高2のクラス替えで疎遠になる。
のちボクが彼を見かけたのは序章の終わりで書いたシーンだ。


ボクの目に飛び込んできたのはKの変わり果てた姿だった。

まず想像してほしいのは無精髭を生やしたキン肉スグルの風貌である。
Kはまさにそんな風貌に深化、いや進化していた。
ほぼ15年以上ぶりなのに、すぐにKとわかった。だがボクは声をかけることができなかった。
それが夜中の高円寺純情商店街。あれほど恋愛沙汰にピュアだったKは男と一緒だったのだ。
ボクの視界にはガチでマッチョな2人が抱擁しまくるシーン。路上にもかかわらず愛をむさぼり合う2人。
別に誰を好きになろうと自由だし誰にも迷惑かけてないし問題ないんですけどね。
いやはやインパクト大。さよならを繰り返しボクは大人になる、とおもわず口ずさむ自分がいましたね。

どうもボクのセンサーは男子校出身のせいか、「ゲイ人」へビビッドに反応してしまうというか、引き寄せるなにかがあるみたいだ。高2のクラス替えで隣に座った渡辺美里狂の生徒会長然り、、。ちなみにボクの嗜好はきわめてストレートだしキム・ダミ好きだし、ボクのアイドル遍歴は菊池桃子→渡辺満里奈→裕木奈江→広末涼子、、、とまあ実にわかりやすい嗜好だと自認している。どっかで引き寄せる何かを持ってるんだろうか。

真夜中の高円寺でKを見かけたあと、1度だけボクは新宿東口の雑踏で彼の姿を見かけている。
そのときはひとりだったが、見るからにすさんだ姿で全身アーミールック(真夏なのに)でさらにボロボロのライダースジャケットをはおり、無精髭は伸び放題、、とにかくボクはスルーすることに決めた。

Kが上京後、たけし軍団に入るためのアクションを起こしたか知る由もない。ただ元気にやってることを祈るばかりだ。


夢を茶化したあんたと愛におどけたおいらがよぎる
あの日のSAY GOOD-BYE
(「抱いた腰がCHA CHA CHA」/ビートたけし)


水道橋博士の「藝人春秋Diary」を読み、藝人ならずゲイ人のエピソードをどうして書いているのか。
それはこの本に出てくる濃い人々との「出会いと別れ」が生み出すハードボイルドな切なさがそうさせてるんだなと思う。文章からにじみ出る苦味はこれまでのシリーズよりも深みとコクを増し、たとえば小泉今日子や吉岡里帆とのエピソードはそこにいい塩梅の甘味を与えている。なので全体として重くならず何度も読み返せる。実際ボクはもう3周目に入ろうとしている。プレ「藝人春秋」ともいうべき「お笑い男の星座」のポップネス、「藝人春秋」2&3のタフネスとヘヴィさが絡み合うことで本が売れないこの時代だからこそ「出版されるべき」価値を高めているのだ。


おそらくボクが思うにKが健在なら「藝人春秋Diary」を読んでるんじゃないかと思う。
ビートたけし愛がまだ続いてるのであればだが。
もうあの頃のように無邪気に少年ジャンプを読み「北斗の拳」や「ジョジョの奇妙な冒険」について語り合えることはないだろう。だけどさ、「藝人春秋Diary」の面白さについては語れるじゃんね。これを読んだら連絡、、、いや、リモートでいいか(笑)

第1章その2へ続く

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