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シティ感覚で考える「まんが道」そして1997年のラブジェネレーション。

新装版「まんが道」を読む。

まだ4巻までしか出ていないし全10巻ってことを思うと先は長いが激河大介(おそらくモデルはさいとうたかおなど劇画工房面々)とか忘れかけていたキャラとの再会は嬉しかった。あと日上ね。立山新聞社の給仕担。図案部の変木さんに学芸部の虎口さんも懐かしかったなァ。

初期「まんが道」は主人公満賀道雄の才野茂への嫉妬が隠さず描かれているところ。これが続編「愛知りそめし頃に」になるとほぼ描かれず、実際この頃になると2人それぞれの作風が確立されているし描くテーマも異なるのでA先生も最初からそこを描く気はなかったのだろう。

それにしてもひと月で2冊は少ない。一挙刊行でもよかったじゃんとも思いつつ全10巻だしこの新装版をちゃんと揃えるいい機会と思ってる次第。中央公論社から出てた文庫版なくしちゃったし。ちなみにボクが持ってるのは80年代中盤、刊行されていた藤子不二雄ランド版で(実家所蔵)連載自体も少年キング休刊によりとっくに終了していた時期でNHKの夜ドラ(銀河小説)で映像化されるのは数年後。まだ2人がFとAで別れてしまう直前にあたる。今回20年ぶりに読み返してるけどやっぱ名作。人生において大切なことが詰まった良書です。10代のうちに読まなきゃダメな作品ですよ、コレは。

そして「まんが道」を読みながらふと自分が10代だった頃の記憶がよみがえる。初めて月刊「明星」を買ったときのこと。そして誌面。かなりあやふやな記憶だが、初めて読んだ明星の記事を思い出してみよう。


目覚めのシャワーを浴びるべくバスルームに向かうと先に目覚めのシャワーを浴びていたと思われるかっちゃん(植草克秀)が「すいませーん」と慌てて飛び出してきた。TOSHIはそんなことを気にせず赤いダブルカセットのラジカセでお気にりのテープを爆音でかける。TOTOの「アイソレーション」が爆音で流れてきた。

(大意)


83年の月刊明星で初めて購入したのがこの年の6〜7月なので7月号か8月号だろう。近藤真彦の記事で「真夜中マッチが空腹になったとき合宿所を抜け出して食べるひとの顔と同じぐらいの大きさのチーズバーガー(おそらくバーガーイン?)」に東京を感じ、寝起きの悪いマッチにマネージャーが毎朝ホットオレンジジュースを用意しているという記事に驚いた記憶がある。あっためるの?オレンジジュースでしょ?別な意味で目が覚めそうだよ!といちいち1983年の芸能界に驚く田舎の中学二年生こそボクだった。


おそらくボクの推測が間違ってなければ吉川晃司のデビュー映画「すかんぴんウォーク」でもこのハンバーガー屋は出てくる。2005年に閉店してしまった老舗ハンバーガー店で結局ボクはこの店に行くことはなかった。

ロッキンオンやソニマガの音楽誌を読む前、ボクは月刊「明星」を愛読していた。付録の「YOUNG SONG」という歌本は単にヒット曲を(ギターのコード譜付で)網羅していただけではなく、近田春夫の新曲批評やときどき差し込まれるマニアックすぎる音楽記事が今考えても贅沢で面白く毎月チェックするだけで自分のリスナー偏差値は爆上がりしていくクオリティだった。そもそも連載企画の作家インタビューで登場したラインナップもとんでもなく、売野雅男が第一回目に登場、のち井上大輔、来生たかお、芹澤廣明、原田真二、松井五郎、高橋研に秋元康になんと大瀧詠一も登場している。大瀧さん、すでにご隠居モード全開で「おれは発注がきても「それなら井上の大ちゃんがいいよ」と他の作家を推薦しちゃうんだ」とミもフタもない発言連発だったことは忘れるわけがないよね。

この歌本の恐ろしさは1985年の国立競技場で行われた「ニューミュージックの葬式」とも呼ばれたALL TOGETHER NOWという世代を越えた音楽イベントに合わせて、はっぴいえんどを源流にファミリーツリー的記事を掲載したことにある。この記事をアイドル目当てのミーハーなフットワーク軽めの読者が読んでどう突き刺さったのだろうか。ボクの場合は邦楽シーンを遡っていくのにばっちりな資料でしかなかったですよね。思えばこの時点でボクの人生はねじ曲がってしまったのかもしれない。はっぴいえんどを日本のビートルズと打ち出しているのはどうかとは思いますが、「サディスティックミカバンドとサディスティックスは違うんだぜ」と知ったかぶりするにはうってつけの資料でしたよ。たしかファミリーツリーには山口富士夫の村八分も載ってた気がする。シュガーベイブの上原ユカリ繋がりのせいとは思いつつも掲載媒体のことを考えるとなかなか冒険心に富んだ編集方針だったなとは思います。このエキセントリックな編集方針は85年いっぱいは続いていた。だが、86年になり急速に内容はコンサバ化していき、いつの間にか新曲批評も近田春夫(84年いっぱいで勇退)、続く「よいこの歌謡曲」編集長梶本学も面白かったが、それも87年あたりになるといつの間にか消滅、編集部のよくわかんないカバどん(そんな名前だった)が「この曲さいこう」「いいねぎんぎん」と軽すぎるノリで批評精神もクソもないどうでもいい文章だらけになりその頃にはボクもさすがに毎月買うまでには至らず、ロッキンオンで重度の松村雄策フリークと化していた。わりかし円滑にロッキンオン文化に移行できたのも目線を下げない当時の明星の編集方針があってこそだった気はしてるんですけどね。なのでボクは「明星」の歌本におおいに影響を受けたとあえて大声で叫びたい。あの頃中学生だったボクは音楽知識偏差値は異様に低いし、そもそもFMが NHKしかないエリアで「FM station」を鈴木英人カセットインデックス欲しさで購入、聴けるはずもないTOKYO FM番組表をむなしく見つめるだけの日々。これは在関東少年少女にはわからないだろう。いっとくけどradikoないからね、you tubeなにそれ?な世界ですよ。駅前に繰り出せば「キミもボウイの高橋まことになろう!」のキャッチコピーがあざやかにキラメくふくしま駅前音楽祭のポスターよ。当時優勝したのは地元のパンクバンド、FREEの「アイムフリー」って曲やった人たちだったな。

初めて行ったファーストフードはロッテリア。マクドナルドはレアだったしモスバーガー進出は80年代後期。少年ジャンプは毎週水曜日、コロコロコミックはなぜか発売日前日発売の謎。ちなみに中学生の頃、使用していた缶ペンケースは鈴木英人イラストのやつだったな。粋なセレクトショップで買ったやつではありません。近くのローカルチェーンのスーパーマーケット。レコード売り場はあるけれど、シングル盤コーナーの売り上げチャートが2年間更新されないようなおそろしい店。1983年初夏のシングル売り上げチャート1位が「チャコの海岸物語」byサザンオールスターズ。情報更新って大事よ、ホンマに。いかに情報停滞エリアに住んでたかって話よね。

シティ・ポップに通じるアーバンな夜景などまるでなくリゾート感溢れる海岸通りもない。永井博や鈴木英人の描く風景は下手すりゃアメリカよりも遠い遠い別次元の世界だった。

ゆえに「まんが道」は読めば読むほど染み渡る。東京でのまんが家生活が夢のまた夢だった高岡編、上京後のトキワ荘編は地方出身(もしくは在住)の者にとって共感しかないバイブルだ。CXで1997年に放送されたトレンディドラマ史上最高傑作「ラブジェネレーション」で若き日の松たか子が演じるヒロインはこう語る。

東京ってなんかありそうだからさあ。わたし、まだ自分を諦めたくないんだよね。

ニュアンス、こんな感じだったかな。
おそらく20年以上ぶりかで観た「ラブジェネレーション」。当時はまったく気づかなかったけど松たか子のためのドラマですね、コレ。韓流訳でやるなら松たか子のポジションは絶対キム・ダミだな。髪型はちょい短めのボブでよろしく。相手役は誰でもいいっス。ネトフリ「スタートアップ」に出てたあの男とか、まあ誰でもいいや。とりあえず皆さん「ラブジェネレーション」観た方がいい。今だからわかる。若き日の松たか子の素晴らしさよ。必見よろしく。

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