天津麺からは孤独の味がする

天津麺が好きな人と人生で出会ったことがない。天津「飯」じゃなくて天津「麺」だ。食べたことが無い人も多いだろう。

味やビジュアルは今あなたが想像している通りだ。天津飯の餡と卵がラーメンにドカッと乗っている、それが天津麺だ。

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同級生が真面目に就職する中、頭がおかしかった僕は大学院に進んだ。キャンパスは山奥にあった。実家から2時間。都市開発に失敗した山に立つキャンパス。駅の周りに飯屋は無い。

だから、まともな飯を食いたい、と思ったらかなり早く帰らなければならない。19時過ぎにはキャンパスを出る。バスで三田駅まで30分。宝塚駅までは電車で30~40分。

その宝塚駅がラストチャンスだ。その後に通る西宮北口駅、シネコンもBEAMSもラブホもある文明の地、いわゆる「西北」はベッドタウンも兼ねているため、飯屋のラストオーダーが割と早い。居酒屋やバーなら遅くまで開いている。そんな西北を経由して実家に戻る頃には、牛丼屋かコンビニしか選択肢が無くなる。

だから、一人飯のデッドラインは宝塚だ。

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宝塚劇場で有名な宝塚駅。僕が小学生の頃は、宝塚ファミリーランドや手塚治記念館などでイケイケだったが、阪神大震災のダメージは回復できない。ファミリーランドも閉園し、周りにたくさんあったお店も減った。なので、宝塚駅なら色々選べるぞ!とかではなく、駅地下の店のラストオーダーが20:30だったからギリギリ寄れる。それだけだ。

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そこに珉珉がある。珉珉は餃子で有名なチェーン店?だが、王将よりもさらに繋がりが緩く、各店舗が自由だ。

珉珉は中華料理屋なので、ラーメンはそんなにおいしくない。最初は餃子やラーメンやチャーハンや定食を頼んでいたが、残念なことに大学院に5年も通った。それで1日に2回も通ると飽きる。順番に他の店でも頼んでうまいやつを頼んでいった結果、遂に天津麺に手を出す。誰が食うんだ?と初見で思った天津麺に。

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天津麺は妙な料理である。それはラーメン欲を満たす。中途半端に。同時に、他のバラエティに富んだおかずを食っている、という気持ちも満たす。これも中途半端に。

中途半端、と書いたのはそこにいる具材はカニカマ入りの卵焼きだからだ。チャーシューは不在であり、ネギやもやしもいない。ラーメンに自信がある店はまず天津麺を出さない。朝食で食う卵焼きと白米の関係性が麺と卵に置き換わっている。つまり成分だけ見れば特別ではない日常の飯。しかし、それが少し歪んだ形、がそこにある。

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先述の通り、珉珉のラーメンは中途半端なので、チャーシュー麺などを頼んでもどうせ大満足はしない。そんな中、他店に存在せず、かつ必要最低限の欲望をライトに満たす、という天津麺に僕の日常は収束していった。

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天津麺はライトな味わいで特に強い感動も生まない。だけど、それを食べている時に、自分のアイデンティティを確認していたのだ。多分きっと。大学院なんかに進んじゃってて他の同級生とは違うぞ、という暗い優越感を少し満たしていたのだ。何故ならまともに就職した同級生は、神戸や大阪や京都や東京にいた。彼らは宝塚で天津麺を食わない。雑誌に載っているラーメン屋やカレー屋、同僚と居酒屋に行くのだ。20:30をタイムリミットにして天津麺を食うために走ったりはしない。

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あれから何年も経った。東京にきて、結婚もした僕は、それでも未だに天津麺を探してしまう。天津麺を取り扱う店はそれほど多くない。まともなラーメン屋や中華屋にあまり置いてない。夫婦でやっている小さな店でたまに見かけるくらいだ。

たまたま嫁が用事でいない時など、そういった店で天津麺を頼む。運ばれてくるまでの間は、何故かいつも強い期待感を覚える。まるで何者かになれると信じていた大学院生時代を反芻するようだ。そして食べ終える頃には現実に戻る。強い満足感を感じない、それでも後悔はしない奇妙な状態。

一人で悩んでいた宝塚駅の、孤独なエスカレーターを降りた先、閉塞感だけがあった研究室時代の記憶、今ではちょっと懐かしいそれが、天津麺の向こう側に透けて見えるような気がするのだ。

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とか言いながら、関東で食う天津飯や天津麺、大体ケチャップベースで素朴にあまり好きじゃないので、井之頭線全駅に王将とか出来ろよ。

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