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映画「この子は邪悪」退行催眠で子供達を救いたいのであれば、私だったらこうする

9/25「この子は邪悪」を見てきました。
玉木宏演じる医者?は、虐待を受けている子供を守るため!自分の家族を守るため!と歪んだ正義感、歪んだ家族愛の持ち主だなという印象。ざっくり言うと「エゴの塊」

自分の家族を守るために、虐待者に退行催眠を行っているのか、虐待されている子供を救うべく退行催眠を行っているのか、私の記憶が定かではなく、そもそもウサギと魂を入れ替える退行催眠が倫理的にどうなんだという話でもある。
ひとまず作品でありフィクションなので、玉木宏の役を医者と仮定し、且つ「SOSが出せない虐待を受けている子供を救いたい」という正義のもと退行催眠を行なっている、と仮定し「退行催眠で虐待から子供を救いたいのであれば、私だったらこうする論」を綴って行こうと思います。

(※医者でもなく、子供のケアに関わる専門知識のない、私なりに思ったことです)

私だったら、まずウサギと魂を入れ替えた虐待者の親と子供を同じ家に帰しません。冒頭で、ウサギになった親の近くで子供が三角座りをしている所に、職員らしき方が保護に入る場面があったけど、虐待がおさまった所で、目の前であんな奇妙な動きをしている大人がいたら、子供は怖いんだよ。まずここを同居させない。

それでもって虐待を受けていた子供が、他の子と同じように学校に通ったり社会生活ができるようになるまで見届ける。それが医者の立場で介入出来ないのであれば町のワーカーさんなどにバトンタッチをする。

あの診療室が閉鎖的なのもどうかと思う。
ウサギになった親を個別のケージに入れていたけど、私だったら、あの広い庭を活用してウサギ園みたいなのを作って、地域の人が誰でも出入りができて、ウサギと触れ合えるようにする。社会生活できるようになった子供もたまに呼んで、「最近どう?」みたいなヒアリングもできる。
自立した生活が送れていて、ウサギ達と楽しく触れ合っているようだったら、それとなくウサギになった親を抱っこさせて、「もし良かったら家でお世話する?」とか声をかけてみる「うん」と言うなら、そこで初めて「家族」として2人を家に帰す。親子としてはダメだったけど、こういう形でなら家族になれる。そこまでやって子供を救うための正義だと思う。

玉木宏役がやってることって虐待した親に対する制裁であって、子供側を救済できていないんだよ。もし私が「自分からSOSを出せない虐待されている子供を救いたかったら」ここまでします、それでやっと主人公なりの正義だと思う。

日頃からウサギ園に地域の人が出入りしていれば親側とも話ができるし、虐待を未然に防ぐこともできるかもしれない。もっと地域に根付いて信頼される医者であれ、と思いました。

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