言葉の意味に注意することの意味

2月に入り、全く違う2つのケースで詳細な、正確な言葉の使い方の大切さについて痛感する機会がありました。
もちろん言葉の意味や使われ方は時代とともに変わっていきます。
また、おおよその意味はそこまで変わらないのでしょう。
しかし、正しく意味をとることにアンテナを張らなくなることで、誤解やコミュニケーションミスにつながることも多くあります。

入試問題と岸田首相の発言から少し、考えてみたいと思います。

1つ目のケース 大学入試現代文読解問題で・・・


 先日、高校生と大学入試の過去問を解いていました。
現代文の中で以下のような表現がありました。
 最初の段落で、筆者の意見として「私たちは、○○を否定する、というわけではない」
 最終段落で、あくまで例として「この中では私たちは○○だと考えるのである」
もちろんこの話の中での結論は「私たちは、○○を否定する、というわけではない」です。全体の流れを把握した上で理解していけば間違えようがないわけです。それはわかりつつ、この2つの表現「○○を否定する、というわけではない」と「○○だと考える」を同義ととるか異なるととるかで違いが出てきます。
今回の問題では見事にそこをついていました。
こんな細かい違いを気にする必要があるのは本当にまれだ、という考え方もあるかもしれません。しかし、誰かとコミュニケーションする上で、言葉使いの違いを感度高く拾えるかどうか、大切なことではないでしょうか。

2つ目のケース 政治の現場で・・・


 もう一つは少し大きな話です。この発言は、直後にはあまり注目されず、秘書官のもっと直接的な発言を契機にマスコミをにぎわすことになります。本来、この発言に多くの人が引っかかるべきであったと感じます。
 2月1日、岸田首相は衆院予算委員会での発言の中で同性婚について、「制度を改正すると、家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だ」と話されました。
 この発言を聴いたとき私は、「変わってしまう」に少し違和感を感じつつ、あまり気にすることなく過ごしてしまいました。
 多くのマスコミもこの日にこれを問題にはせず、後日、秘書官のあからさまに差別的な発言が報道されたことを契機として初めて、この1日の岸田首相の発言にも注目することとなりました。

 岸田首相は2月8日日の国会審議で、「同性婚制度の導入は、国民生活の基本に関わる問題であり、国民一人ひとりの家族観とも密接に関わるものであり、その意味で全ての国民に幅広く関わる問題であるという認識のもとに『社会が変わる』と申し上げた。決してネガティブなことを言っているのではなく、もとより議論を否定しているものではない」と話されています。
 「変わってしまう」ということば使いからは、いかにも意図せず変わる、もしくは願いとは裏腹に変わる。という意味が含まれることが考えられます。
 もし異なる意味で使ったのであるとすれば、言葉への配慮が足りないと言われてしまう事案ですし、あえて使ったのだとすれば、マスコミ・国民は試されたのではないかと思ってしまいます。この発言だけでは大した問題にならず、3日に秘書官にあからさまな発言をさせて火をつけたのではないか、なんて勘ぐってしまうのは私だけでしょうか・・・。

言葉の意味と使い方 


 私たちは相手に自分の意志を伝えるために「言葉」を使っています。もちろん実際には「言葉」以外にもその場の雰囲気、表情、話の流れなどがあります。
 しかし、自分が使った言葉は、いわば「独り歩き」を始めることがあります。このテキストにしても、そんなに多くの方に読んで頂いているとも思わない一方、読んでくださる方がいらっしゃる限り、できる限り、私の考えるところを正確に伝えるべく言葉を選んでいます。

ことばに対する感度を磨いていかなければならない、と思う今日この頃です・・・。

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