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【エッセイ】文化交流の重要性

コロナ禍になり、海外から足が遠のいて久しいですが、以前は資料調査のためによくアメリカを訪れました。

ロックフェラー・アーカイブ・センター

アメリカでは図書館や資料館で歴史的資料が体系的に保存されており、研究者は実際に足を運べば生の資料にアクセスすることが可能です。

私はこれまでさまざまな資料館を訪れましたが、特に印象的なのがニューヨークにあるロックフェラー・アーカイブ・センターです。

マンハッタンから電車でおよそ1時間、緑に囲まれたのどかな場所に建つセンターは、ロックフェラー家のかつての住居を使用したもので、一般的な図書館とは異なる雰囲気の中、資料を閲覧することができます。

ロックフェラー家と日本の関わり

ロックフェラー家といえば、石油精製業により巨万の富を得た大富豪の一族で、クリスマス・シーズンにツリーが飾られるマンハッタンのロックフェラー・センターが有名ですが、日本とも深い関わりがあったことをご存じでしょうか。

石油王かつ慈善家として知られるジョン・D・ロックフェラーの孫であるジョン・D・ロックフェラー3世は日本に強い関心を持ち、ロックフェラー財団は、第二次世界大戦後、特に1950年代の日米文化交流に大きな役割を果たしました。

1960年の歌舞伎公演も、ロックフェラー財団が財政支援を行った日米文化交流のひとつでした。

ロックフェラー・センターのクリスマスツリー

アメリカにおける歌舞伎

現在、魅力ある日本文化として認知され、アメリカをはじめ、さまざまな国で公演が行われている歌舞伎ですが、第二次大戦中のアメリカでは封建主義や軍国主義の象徴とされ、その結果、占領期には検閲や上演禁止の憂き目にあいました。

しかし、1950年代に来日し、直接歌舞伎を観たアメリカ人によってその魅力が再認識され、アメリカに歌舞伎を招致する動きが広がったのです。

一方、文化的に豊かな日本という新たなイメージを海外に向けて発信しようと考えた日本人にとっても歌舞伎招致の動きは歓迎すべきものでした。

歌舞伎招致運動

1950年代のアメリカでの歌舞伎招致運動は、歌舞伎が西洋演劇と肩を並べる日本固有の芸術として認められていく過程であり、日本が歌舞伎に対する自信を取り戻す過程でもありました。

その結果である1960年の歌舞伎公演は、同時期に生じた安保闘争やアイゼンハワー大統領の訪日中止など、日米間に緊張が走る出来事に影響されることなく、政治関係に左右されない文化の力を示すと同時に、その後の海外での歌舞伎公演への道を拓く重要な文化交流の先駆けとなりました。

歌舞伎公演の会場となったメトロポリタン歌劇場

おわりに

アメリカに滞在する際、私はよくオペラやミュージカルなどの舞台芸術を鑑賞しますが、他国の芸術に直接触れることは素晴らしいと常に感じます。

1950年代に歌舞伎を招致しようとしたアメリカ人を動かしたものは、日本における歌舞伎鑑賞の経験でした。

情報技術が発達していない1950年代はもちろん、インターネットが普及し、さまざまな国の芸術を映像で簡単に見ることが可能となっている現在においても、他国の芸術を直接鑑賞した際の感動は計り知れないものがあります。

そういう意味では、海外渡航が難しかったこの3年間は文化交流において大きな損失の時だったといえるかもしれません。

今後は以前のように自由に海外を行き来できるようになることを願ってやみません。

(N. Kurabayashi)