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エンドロールに母の名は

 一概に映画のエキストラと言っても、その役割は実に様々。自然な空気感を演出する者、映像に僅かな違和感を生み出す者、それらは一つの作品をより洗練された所へ導く為の、重要な担い手であると自負する私である。
だから先日、母に語った「映画俳優の卵」という自らの現状についての説明も、不本意ではあるものの決して誇張だとは思わない。
しっかりと言ってあるし。

 だが恐らく母は気付いているのだろう。今の私の生活を、実情を。この薄汚れた格好で帰省する度に、彼女はいたく喜び、洗濯物が増えるだの何やらブツブツ文句を言ったと思えば、夕食に出てくるのは、昔と全く味付けの変わらない味噌汁と玉子焼き。
昨日よりちょっと濃くないか?
と呟く父を見ていれば、この味噌汁があくまで私の為だけに作られた物である事に気付く。
母は偉大である。
劇中のワンシーンを切り取ったかの様なこの光景に、何か気の利いた演技でもしてやろう、という悪戯染みた思考に走る私であるが、結局良いアイデアも浮かばず、止めてしまった。仕方がない。未だ自分は「俳優の卵」なのだから。卵から孵るのは、無論俳優となった私である。では、この野心渦巻く卵を生み出したのは、何処の誰か。何度でも言おう。母は偉大なのだ。

 
 遡る事、五年前の記憶。世の交わりを絶って幾月もの間、暗い部屋に染み付いた自分の影、身体を動かせば色度が変わる、そのグラデーションを楽しむしか他なかった救い様のない男。それがかつての私だった。
前まで嫌々足を踏み入れていた、高校の校舎。大学受験など遙か未来の話と、騒いでは此方に一々ちょっかいを掛けて来る連中に嫌気が差していた。数年の我慢だ。卒業さえしてしまえば後はどうにでもなる筈だ。そう自分に言い聞かせながら、日々苦しくも生きていた。

 母は、そんな私の姿を見てどう思っていたのだろう。恐らくは、全てお見通しだったに違いない。だから、ついには我慢出来なくなり、自室に籠りがちとなった私に対しても、彼女の口から発せられる言葉に、此方を責める様なモノは一つもなかった。その対応が良いのか悪いのか、今となっては判断出来ない。ただ、厳しい顔で言い詰められる事を想像していた私は、それが拍子抜けだとさえ感じたのだ。

 六畳の狭い世界において、私を魅了したのは映画だった。幸い実家には、親が昔からコレクションしていたビデオが山の様に転がっていたし––いつしかそれらはDVDに変わった––外の光を窓越しにしか受ける事のない私にとって、それは現実世界よりもリアルな印象を帯びて、視覚を、聴覚を刺激する。部屋から漏れ出す映画の音に気が付いた母は、自分が薦めたいという作品を、次から次へ持って来た。そのほとんどが80年代に上映されていた、著名な映画だった記憶がある。
彼女との食事中は、家族団欒という名の作品批評会と変貌を遂げた。自らの息子に対しては嫌味の一つ言わない母も、映画の事となれば少し煩いくらいである。

ある晩、私に語った名画座の話。
昔に母が通っていたその名画座は、実家から電車を乗り継いで約四十分ほどの都心にある物らしく、今でもリバイバル上映を定期的に行っているとの事だった。
「どうしても観て来て欲しいモノがあるの」
彼女はそう言って、一枚のパンフレットを渡してきた。古い学園映画の様だった。記念になればと、若い頃に持っていた様々な人脈を利用した母が、唯一出演する事が叶った映画がそれらしいのだが、肝心の役は物語の中盤にただ一言
「馬鹿はやめてよ」
と発するだけの、不良にナンパされた女子生徒Bという名も付かない物であった。一応、他のシーンでも姿だけは映っているらしく、当時は作品関係者の方から、エンドロールに名前が載ると良いね、と言われたものの、結局自分の演技がスクリーンに映し出される事が恥ずかしくなって、未だ鑑賞をしていないのだと言う。
確かに、名画座のスケジュールをネットで調べてみれば、来週は母が出演した映画が上映される予定となっていた。彼女は、そのエンドロールに自分の名が載っているのかどうか、長年気になっていたとの事である。

 正直に言って、自らの親の若かりし姿を劇場で観るのは、気が進まない。というよりも、かなり小っ恥ずかしいものがある。長期間に渡り引き篭もり生活を送っていた私にしてみれば、尚更そう否定的に感じるのも無理はない。
パンフレットに書かれたあらすじを見ても、お世辞にも面白そうな映画とは言えない物であったが、必死にせがむ母の姿に、私はその重過ぎる腰を上げた。

 久しぶりに触れた外の世界は、画面上の色鮮やかな映像ではなく、間違いなく現実そのものだった。あちこちに反射する光が眩しく、私は目を伏せながら歩く必要があった。
長い時間を掛けて名画座に移動すると、個人の煙草屋の様な小さなブースから、若い女性が入館料を言ってきた。無言で財布から金を出す私のおぼつかない素振りを見て、何となく怪訝な顔付きに変化していくのを感じた。
館内は暗く、静かで、少しカビ臭い。私以外の観客は、二人か三人か、その程度だったので、狭い室内にも余裕を感じる事が出来る。そして今から上映される映画も、その程度であるのだと私に迫る妙に気の抜けた感じが気に入った。

 母が出演した映画は、やはりつまらないモノだった。決して駄作等と言うつもりはないが、観ていて退屈でしかない作品を、他にどう表現すれば良いだろう。上映開始から十分しない内に、向こうからは大きな鼾、その反対からは舌打ちが聞こえた。気持ちは分かる。
睡魔と格闘していた私が「あっ」と、つい声を出してしまったのは、思い掛けず訪れたそのワンシーンによるものだった。
「馬鹿はやめてよ」
女子生徒は、不良の手を振り解いて廊下を去っていく。昔のドラマで観た、ありがちな場面。出演時間にして僅か五秒にも満たないそのシーンは、私を不思議な気分にさせた。

 彼女は今、不登校の息子を抱える母親としてではなく、映画の人物として、作品を彩る一つの要素として、スクリーンの中に生きていた。陳腐な演技、観客にもたらす影響が微々たる物であるとしても、彼女の姿を観て感動を覚える人間は確かに存在する筈なのだ。
少なくとも、ここに一人。
物語が終盤に差し掛かっても、私は脇役の女の子が発した台詞を頭に思い浮かべていた。
「馬鹿はやめてよ」
あの一言を、母は自分で聴くべきだったのではないかと思った。そして私は、仮に同じ立場となった際、暗い劇場において、光の中に生きる自らの姿を、この両目で観てやりたいと考えた。現実に嫌気が差して引き籠るのであれば、リアルな部屋の中で死ぬのではなく、幻想的な作品の中で生きてやろうと。

 私は幕が閉じても、スクリーン越しにそんな夢を観ていた。だから当時、エンドロールの隅に小さく刻まれた、母の名前に気付かないのもまぁ仕方がない事だったんだ。

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