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好きと批評性

noteを開くとポップアップが出ることがある。

無題

今日はこういうやつ。

別に”最も”ってわけじゃなくて一定数以上のページビューがあると出るっぽい。知らんけど。ありがとうございました。

そういえば最近、書評やら批評やらがどうのこうのという話題があって、こういう、何かについて書きたがりの人間として思うことがないわけではないけれど。

やはりまぁ、多くの人間が何かについて書いたものを読みたいときは、おのれの感じたことをバシッと言葉にしてくれたものに出会ってうなずきたい、みたいな欲求が強いのではないかなというように思う。そうではなく、新しい視点を得たい、という場合でも、どちらかと言えばその新しい視点によって元々自分の抱えている持論を強化したい、みたいな気持ちが強いのではないか。

そして職業評論家でもなければ、そもそも自分のアンテナにひっかからないものに対して評を書くことってあんまり意味がないというか、払うコストに対してメリットが少なすぎる。結果的に、アマチュアによる発信の機会が増えれば増えるほど、肯定的、恣意的な表現を使えば盲目的な評が増えるのは当たり前のことのように思う。

「貴方の”好き”や”嫌い”は何の役にも立たないが、好きな理由と嫌いな理由は言葉にすれば役に立つ」。これは大学生の頃に教授から聞いて、なんとなくずっと留めておいている言葉。努めてこういう心持ちで何かしら書いている。

ただ、結局のところ、そもそも好きなものでなければそんなに好きな理由を追い求めて形にして残そうとは思わなくない?という問題はあって、それに関してはどうしようもないんだよな……と思う。別に好きでもなんでもないものについて評を書けと言われてからが本番なんだろうな。まぁ職業じゃないからいいんですけど……


今日はここまで。ありがとうございました。

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