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猿原真一句集『ここで一句』鑑賞

みんなは……もう手に入れたか…?

何をかって?

『猿原真一俳句集 ここで一句』に決まっているだろう???

いやぁ、嬉しすぎる!!!「宇宙船」181号の付録なわけですが、思った以上にちゃんと「本」だったのでびっくりしちゃった。ちゃんと1句1ページ使ってるし…

それから、めくったところの著者近影と前書きね。なんかもう、良すぎて胸がいっぱいになってしまいそこで一旦閉じて呼吸を落ち着けてしまった。こんな至れり尽くせりでいいんすか?最終回で泣いた人は全員読んでくれという気持ち…

というわけで、せっかく句集が手に入ったので、自分なりに十句選んで鑑賞していこうと思います。こんなことを言うのもアレなんですけど、猿原教授の句、「ちゃんとしてる」んですよね……(季語や切字の扱いを理解して作っているという意味で言っています)。これも勉強と付箋ぺちぺち貼りながら真面目に読んで選びました。

井上先生のコメントは読まずに、作中の情報だけで考えます。私は地元の俳句結社に入っている俳句を趣味とする者ですがぺいぺいもいいとこのぺいぺいなので、そのへんはフリーダムに……細かいことはあまり考えずにゆるゆるとやりますのでお見逃しください。順に並べたかったんですけど、放送順や"中の人"や話の流れもあるので、そこはあまりこだわらずに行きます。みんなもぜひやって、聞かせてください。好きなものの話するのって楽しいから……


春風や亡きあの人とすれ違う

初手これだったの、なんか面白いですね。急にバックボーンも何も分からない謎の男が出てきて、コーヒー代を払うと言い出して急にこれ。すごいチョイスだ。春という明るくプラスの雰囲気と、亡き人というマイナスの取り合わせのバランス。実は私も近い着想の句を読んだことがあって「春風や喪服の背中(せな)を押す如く」というものだったんですけど、そういえばこれは祖母が亡くなった頃に詠んだんでした。教授が想定するような、亡き人ってどなたなんでしょうね。


夏風邪や八分音符の君の咳

咳き込んでいるのを八分音符みたいだとする、こういう「いままでそう感じたことってなかったけど確かにそんな感じかもね」みたいなのがある句っていいと思うんですよね。「風邪」は冬の季語ですが「夏風邪」とあえて夏の句にしているのもいいですね。なんかこう、別にそんな深刻にならなくてもいい、まぁリズミカルね、とか言ってても良さそうな呑気さがある。


風船を見送る子供大人びて

季語は「風船」で春の句。いいですよね。あのシーンで何?とならずにこれもまた一興、書き留めておきましょう、となるのが猿原真一なんだよなぁと思う。


夏の夜や古本の端折りし跡

やっぱり人に売るとなるとそれ相応に気を配って詠んだのかもしれない。古本のページを繰って過去の持ち主の名残を見つけて、それを面白いなと思うのが猿原教授の生活なんでしょう。上五はもうちょい何か探してもいいかもしれない。


深呼吸少し近づく赤とんぼ

ソノニちゃんを振り向かせるには流石に弱いと思うんですけど……。深呼吸をしてから赤とんぼに近づいたってことなのかしら。それとも赤とんぼの方がスっと近づいてきたのかしら。なんていうか、恋を詠むなら直接的な「片恋や」「秋の恋」とかは削いじゃっていいのかなという気持ちで、場面的にはめちゃくちゃ好きな句のいくつかよりこっちを取ってしまいました。正直に言うとォ…もっと入れたいのがあってェ…


転んでも逆さに見える春の虹

「虹」だけだと夏の句になるけれど、これは「春の虹」。春の淡い虹なぐらいが優しく励ましてくれるのかもしれない。前向きで好きです。


こんなにも輝く今日があるならば明日の我など風に消えても

選に入れようか悩んだんですが、入れちゃいましょう。私は現代短歌を作ってから俳句を始めたんですが、やってみて感じた違いは文字数だけじゃなくて、ウェットさみたいなものにあると思っていて。俳句はあんまり直接的に感情を出さず、言外に匂わせることもしないほうがいい。「真ちゃん」はなんだかウェットで“短歌的”だったので、つまりこっちの時空の猿原真一は存在が“俳句的”なんだろうなと思いました。というか何があったんだよ……



夏映画これで君とも縁できた

季語は「夏」なんでしょうが、「夏映画」はまだ季語とは言えないんでしょうか。我々は夏映画、と聞けば戦隊のお祭り感とライダーの最終盤的熱さを想起できるのですが……それはそうと、「ここで一句」できるのって単純に俳句を作って推敲して選んで…というのとまた違う才能だと思うので、猿原さんも‘’中の人”もすごいよな…と思い、敬意を持って選びました。


暑き日はメタバースへと逃避行

メタバース使っても人間の肉体の方は暑い部屋に残るわけで、あんまり逃げられてないような気はしますが、言い切っちゃえばこっちのもんだしロマンがありますね。上五のあたりなんかもうちょい良くなりそうな気はする。

去る君の足跡見えず雪の夜

素直に別れを惜しむ句だったのが意外でもあり、納得でもあり。これ、この前に雉野の下りで作った「足跡隠せ細雪」と発想は同じなんですよね。でも、こっちでは「見えず」とだけしたあたりに、無力感がある。
なんというか、桃井タロウに起きたことって、降る雪みたいに我々にはどうしようもなくて、それ自体悪いものとも良いものとも言いきれず、気象現象みたいな感じでしたよね。ドン家のシステムってそれ自体はただただ存在していて、そこに我々が観察してはもののあはれを見出している。つまりドンブラザーズという番組って、かなり"俳句"だったのではないでしょうか。


なんていうか……書いてて思ったんですけど、ドンブラにおける俳句の存在、でかいな………

太陽が登って沈むことにも、開いた花がただ散ることにも、何らかの感傷を見出して書き残そうとすることを、ソノイが言うように「人間の欠陥を塗り潰そうとする虚飾」とするのならそれはその通りなのだけれど、結局はそうやって世界をなんとか噛み砕いて愛して生きていくのが我々じゃん、という物語。はるかの漫画だって、料理だって同じで、本当はそんなものなんて必要ないはずのタロウをこっちの世界にギリギリでつなぎとめていたのって、人間のそういう部分で……

そういう、別に生命に即座に関わるってわけじゃないけど、我々が生きて手をつなぐために必要だったのが俳句であり猿原真一の視座だったんじゃないですか?ねぇ教授、わびさびの心って、そういうものじゃないすか?


井上先生をはじめとするライターの皆様に感謝を。猿原教授を形成してくれてありがとうございました。それから別府由来くんは本当にすごい。こんな無茶振りが確定してるキャラを、このイベントが多いジャンルで1年走りきって……
それから字の平原先生、鬼頭はるか先生、ふじもと先生にも感謝!
あと松浦さんにもう足向けて寝られないんですけど!!東京ってどっち?!!!句集にしてくれてありがとうございました……

俳句ってルールもあるし評価基準もあるし、これは詠み口がありがちかなとか、類想かなとか、上手くなりたいならいろいろ気を配ることもありますけど、そもそも日記的に定型詩を作る、ということ自体がかなり楽しく豊かなことだと思うんですよね。そういうのがちびっこの見る番組で、ストーリーラインを追う上では特にむちゃくちゃ深い意味があるでもなく“そういうのもある”“普通のこと”というぐらいのテンションで出されたことってすごく良いことだと思うんですよね。今はよくわかんないちびっこが、ちょっと大きくなって思い出してくれるといいなぁ。面白いんですよ、俳句って。

今日はここまで。ありがとうございました。


そのほか、ドンブラザーズに関しての拙文はこちら。

https://note.com/kh_nshgk/n/n6864ecbeb7fe


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