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自分の中の確認

そういえば、以前、若い女性たちが集まる座談会を取材したとき、メールの話題になった。
ひとりの女性が言った。
「暇なときって、自分が送ったメール見てる」
すると、「わかる。届いたメールより見てる」と、同意した人が少なからずいた。
その後、一瞬、場の空気がしんみりした。

益田ミリ「小さいコトが気になります」


ああ、この感じわかる。

高校生1年生の頃、それまで2年以上使っていたケータイを、念願叶って機種変更してもらえることになった。
その待ちに待った機種変更の前日、
古いケータイが名残惜しくなった私は、
なぜか送信ボックスを開いて、自分のメールを読んでいた。

真夜中まで送信メールを読んでいると、
頭がほかほかしてきて、
何度となく奥歯の方がつんとしたのを思い出した。

これを読むまでは曖昧だった、
なんとも言えないあの時の気持ちは、
「しんみり」というのだと、
私の中にいる当時の私に、やっと伝えられたような気がした。

自分の中は、自分ひとりだけの場所じゃない。

益田ミリ「小さいコトが気になります」


今はもうメールを使う機会もだいぶ減ってしまったけど、たまに思いつきで自分の日記やメモを読み返すとき、同じような気持ちが蘇ってくることがある。

書いた本人である私が、
自分の書いたものを読んでいるとき、
それは心が休まるような気持ちになるのと同時に、どこかさみしいような気持ちにもなる。

もしかしたら、
私は書いているときにはすでに、
後から私自身がそれを読むことを、
なんとなく予感しているのかもしれない。

もしくは、少し未来の自分の目線を感じるような、そんな気持ちになったとき、書きたくなるのかもしれない。

書きたいから書いているつもりが、
実は読みたいから書いているのかもしれない。
そんなふうに思った。

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