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「相談」を紐解く

こんにちは。相談の話です。

私は物事を決めるときに人に相談するタイプではない
と思っています。

「と思っている」と言ったのは、
決めるための判断材料として
街角インタビューみたいな気持ちで
いろんな人の意見を収集することはよくあるからです。

あれ、もしかして
これも相談っていう?

という疑問を残しての
「と思っている」
です。

そんなわけで
「相談」と言われるものを少し広く捉え
その分類をしてみようかな
なんて思いこの記事を書き始めました。

特に目標を定めて書くわけではありませんが
自分が相談をするとき
或いは他人から相談するときに

その相談がどのような状態のものなのか?を理解することで
双方に有益な情報の授受ができるようになる、
かもしれません。

1.「相談」という言葉の定義

そうだん【相談】
1.《名・ス他》どうすればよいかなどについて、意見を述べ合ったり、意見を述べてもらったりして考えること。 「担当医に―する」

出典:Oxford Languages

そう‐だん〔サウ‐〕【相談】
[名](スル)
問題の解決のために話し合ったり、他人の意見を聞いたりすること。また、その話し合い。「相談がまとまる」「相談に乗る」「友人に相談する」「身の上相談」
どう行動するかを決めるのに、何かと考え合わせること。「財布と相談」「身体と相談しながら頑張る」

出典:デジタル大辞泉

ものすごくざっくりまとめると
こんなところでしょうか。

相談の定義イメージ化

念の為もう一度よく辞書的な定義を見てみます。
注目箇所は最後の定義文です。

「何かと考えを合わせる」

「考えを合わせる」という表現が
あたかも考えがあるものを思わせますが
対象は「何か」と無生物を想像させるもの。

例文を見ても相談相手は無生物。

ということは
合意するところまでを定義に含む場合においても
結局意思決定は生物としては自分だけ
とも考えられそうです。

牛乳に相談だ♪のパターン

さて。
冒頭の疑問に戻ると
私は相談をする人間であった
と言えるのでは?と思えてきます。

ではなぜ相談をしない人間だと
思ってみたりしていたのか?

その理由は
一見無関係そうにみえる「相談事案発生」を
どのように捉えるかという点にあるのではないか
と考えています。

2.意思決定のプロセスと相談発生フェーズ

意思決定プロセス

相談はその言葉の定義の通り
何かを解決すること、決定することを目的としています。

つまり
それがアクションプランであれ
解決のためのソリューションであれ
意思決定のプロセスの中で生じるとも言えるのではないでしょうか。

表現の差はありますが
意思決定のプロセスとして複数のサイトで紹介されている
7つのステップがあります。

意思決定プロセスの7ステップ
 1. 意思決定が必要な対象を明確にする
 2. 情報を収集する
 3. 課題に対する解を特定する
 4. エビデンスと照合する
 5. 最も適切だと思う選択肢を選ぶ
 6. 行動に移す
 7. 意思決定を見直す

ビジネスの文脈で語られることが多いため
少し分かりにくい点もありますが
これをプライベートの例に当てはめてみます。

例えば今日の夜ご飯何にしようかな?
なんて想像した時に
私はまずは自分の食べたいものが何かを考えます。

ただしすぐに気がつくのです。
何にしようかな?
と考える日は大抵食べたいものがない日です。

そこでとりあえず冷蔵庫の残り物をなるべく使う
サクッとできるもの何かないかなーということで
最近食べたものやレシピアプリなんかで
作りたいものがないかなーと考え始めます。

いくつかの気になるメニューについては
そのレシピの中身を確認し
あーこれは追加食材が多いなーとか
最終的にはメインと副菜と汁物は欲しいよなーとか
時間かかりすぎないかなーとか
元々の目的に照らし合わせて取捨選択し
買い物に出かけるわけです。

これは一例ですが
その決定事項の大小はあれど
プライベートにも意思決定は溢れています。

料理の時の意思決定プロセスの一例

相談の発生フェーズ

先ほどの一連の流れをある意思決定の1括りと考えた場合に
相談の余地はどのステップにあるでしょうか。

料理の例を引き続き使ってみると
想像できるのは悩み事が発生した後の
「何か食べたいものある?」

もしくは色々と選択肢が出てきた後の
「今日鳥と魚どっちが良い?」
みたいな感じではないでしょうか。

先ほどのプロセスですが中のステップを改めてみると
決定までのステップは以下のように
大きく2つのフェーズに分けることができると考えています。

  • 前半(青):選択肢を増やす発散フェーズ

  • 後半(赤):ベストな選択肢を決定する収束フェーズ

ステップの分類

この例におけるフェーズで考えると
「何か食べたいものある?」は発散フェーズです。
情報収集の1つです。

今日はサクッと作れる
かつ
残り物食材も使いたいので

食べたいものの希望の他に
冷蔵庫の残りやレシピの手順も
検討のための情報として収集されます。

一通りの情報が集められたら
集めた事実から検証にかかります。

サクッと作れて残り物も消化できて
なるべく希望に近いものだと
何が良いかなー
と考えるわけです。

ここでいくつか同じ評価のものが出てきたら
「今日鳥と魚どっちが良い?」
と決断に向けた意見照会になります。

何食べたい?と聞かれたのに
食卓に並んでいるものが全然違った
みたいな経験をしたことがあるかもしれません。

それはおそらく
作る人には他にもいくつかの検討材料があり
あなたの意見は1つの情報だった
ということなのではないでしょうか。

3.決断の主体と相談フェーズの考え方

2では料理を例として
意思決定の中のどこで相談が発生するのか?
を見てきました。

ここで1を振り返ります。
1では、相談という言葉の定義を見ましたが、
最終的な意思決定主体は自分である
という仮説で結論づけています。

その前提で「相談」としての妥当性を見てみます。

決断がみんなのものである場合

家族の食卓の場合
作ってくれる人はいるにしても
食べるのは家族となると
決断はみんなのものになります。

それ故食べたいものの意見を集めるということにも
あまり違和感を覚えることはありません。

発散というのは
選択肢を増やし目的に対して
より良い解を得るのに有益な手段です。

むしろその意見照会に応じないのは
自分にも関わる決断を人任せにしている
非常に不誠実な態度と見ることもできますよね。

作ってくれる方に献立を聞かれた時には
協力するのが当然と思えてきます。

決断が個人的なものである場合

料理の例を離れます。
例えば自分の向こう5年のキャリアプランを決定したいという場合。

これは自分の人生の話なので
決断の主体は自分になるでしょう。

私も最近はキャリアプランというか
今後の人生について考える機会が多くありました。

キャリアチェンジを選択肢に入れる場合
自分の未知のものの情報を集めないとならないため
それには経験したことのある人の話を聞く
ということが1つの有益な手段となります。

未だ見ぬ世界に対する選択肢を増やす作業です。

自分がどうしたら良いか?を問うのではなく
あなたはどのように考えたのですか?という
人生のサンプル収集ですね。

「知っている」ということは
人の考えや世界を拡げてくれます。

ただし
他人の人生は飽くまで他人の判断軸や目的によって
決断されたものとなっているため
それが自分の人生にとってどうなのか?
ということはそこから自分で吟味する必要があります。

後半の収束フェーズで相談が発生するとしたら
一旦自身で選択肢した結論とその筋立てに対し
先人の意見照会をする時になるかと思います。

しかしながら実はこれは
収束フェーズの中で発生する
小さな発散フェーズなのです。

収束させるために
改めていろんな意見を照会し
最終的に自分の軸で改めて検証結果を結論づける。

このサイクルを何度も慎重に回すか?
とりあえず1周で行動に移すか?

がいわゆる行動の速さにも繋がっているといえるでしょう。
(経験則で無意識のフェーズも発生する認識)

「相談しないタイプ」という自認のワケ

結論からすると
私は発散フェーズではものすごく人の話を聞くのが好きです。

しかしながら一度収束に入ると
あまりそれを人に公開することをしません。

意思決定の1つのプロセスの中でも
特に結論づけのフェーズが収束のフェーズになるため
そこでの「相談」をしないということが
私の中で相談している感覚がない
ということになったのだと認識しています。

そんなわけなのですが
仕事を辞めるにあたっては
極々親しい上司には意見を聞いたりしました。

女の相談はめんどくさい?

よく女は相談してくる割に
どんなアドバイスをしても
「でも」「でも」「だって」で
糠に釘のようなものだと言われたりしますよね。

これには、2パターンある気がしています。

1つはそもそもの悩み事の定義の質が悪いケースです。

色々悩んで人の意見も十分に聞いているのに
どうしても決断できないのは
その決断のボトルネックとなる判断軸を
自分でも見逃しているからです。

この場合は
どっちが良いか?の話をしても堂々巡り。
選択肢の話ではなく、本人が本当に求めているものは何か?
をヒアリングしてあげるようなアプローチが
双方にとって空を切るような議論を避けることができるでしょう。

もう1つは後押しが欲しいケースです。

周囲からの目が気になるような人の場合には、
この決断ってあなたからみてどう見える?という意味で
決定しているけど行動に移していないことの「相談」をいろんな人にするのだと思います。

それ故、その場で何かが決まるわけではないのです。
飽くまで行動へのボルテージを溜めているだけなので
1つの答えを聞いてどうこうではなく
「でも…」ということは相手への反論ではなく
いわば想定問答に答えているような状態です。

そういった意味では
何も進んでいないように見えて
より決断を強固にするために有益なものかもしれません。

飽くまで私の意見ですが。

おわりに

最近考えるより先に行動せよ!の気運がありますが
あれは考えるなということではなく
考えても無駄なことに時間を使うな
ということだと認識しています。

これからのことはいくら考えたって
想像の中でしか描けないのです。

情報収集や頼れる前例には頼りつつも
それをどこまでやることが有益なのか
の見極めが重要であり
VUCAではその前例が通用しない領域が増えている
ということです。

相談ということでいうと
私は昔から決断は自分でするタイプだと思いますが
それでもやっぱり応援してくれる人がいるととても心強いし
信頼できる人たちの励ましというのは
人の決断に大きな力を与えるものだとも思います。

社会通念や周囲の環境も
最終的に一歩を踏み出せるかどうかを分かつ
重要な要因の1つだと思っています。

これから決断がより個人に委ねられていくにあたり
前向きな力で互いの背中を押し合うような
そんな社会になると良いですね。

何日かに分けて書いていたら長くなってしまいました。
読んでくださってありがとうございます。
7月も元気に頑張りましょう。

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