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ランサーズとの出会いとこれから

もう1か月ほど前の話になるが、元ランサーズ社員の簔口さんより上場記念企画として「#私とランサーズ」コメントリレーの話をいただいていた。ただ、年末年始のバタバタが重なりなかなか取り掛かれなかったことを最初にお詫びしたい。

上場から1か月ほど過ぎやや出遅れた感は否めないが、ランサーズとの出会いから現在に至るまでの経緯や関わり方をつらつらと書き留めておこうと思う。

ただし、内容はそれなりに長い。自分で書いといて言うのもアレだが、結構長い。まあ、とりあえずそれだけの想いが詰まっている証だと思って読んでくれればありがたい。

ランサーズ以前

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2011年。

眼下に広がるみなとみらいの夜景。海からの風が心地よい。

2005年に購入した関内駅にほど近い高層マンションの最上階。バルコニーから眺めるこの景色が決め手となったのは言うまでもないだろう。

ただ、その時の感動は今や薄れつつあった。

自分の手には数日前に会社から渡された「解雇予告通知書」が1通。いわゆるリストラ宣告だ。

ここ数年、100名ほど在籍する営業部署の執行役員として、営業戦略立案や生産性向上のためのSFA導入などさまざまな施策を立案、実行してきた。しかし、どれもうまく「はまらない」。

リーマンショックや円高不況、そして東日本大震災といった外的要因に業績不振の理由を求めることはできる。しかし、業績が急降下しているのは事実であり、自分がその責任を取るべき立場であることも重々承知している。何人かの同僚も自分と同じように会社を去ることを決めていた。

同族経営であったため、社長とその親族は対象外だが。

とにもかくにも、いい歳して無職になることが決定したのだ。このことを告げたパートナーは数日前にこのマンションを去って行った。2人で住むことを前提に、「2馬力」でローンを払う計画で購入したマンションだった。

実は2003年にも一度無職になっている。その時勤務していたのは外資系ITベンチャーだ。金主であるアメリカの銀行が業績不振に陥り、資金繰りのめどがつかずに会社清算となった。いわゆるITバブル崩壊である。30代前半にして年収1000万を超えていた自分は、この時完全に天狗になっていた。同条件での転職がかなわず、半年以上の無職期間をダラダラと過ごす間に、当時の妻が出ていった。

金の切れ目が縁の切れ目とはうまいことを言うものだ。

そう自嘲してしまうほど、同じことを繰り返している自分が歯がゆかった。

ランサーズ前夜

2014年。

「はい、公益財団法人〇〇です」

かかってくる電話に真っ先に出て上の人に取り次ぐ。協賛者に送るダイレクトメールの封入作業をする。それが俺の仕事だった。

リストラ後、さまざまなツテを使い、またエージェントなどあらゆる手段を用いて再就職を試みた。だが、倒産とリストラされた経歴を持つ、貧乏神が取り付いているようなアラフォー男を雇うような企業は皆無だった。

ローンが払えるはずもなく、みなとみらいのマンションも既に手放した。今は安いアパート住まいだ。明らかに心が折れているのが自分でもわかった。

そしてようやく拾ってくれたのがこの公益法人。半年単位で契約を更新する非正規雇用だ。手取りは14万円。ワーキングプアの仲間入りだ。貯金を切り崩し、家財道具をオークションで売りさばきながら生活していた。

もう這い上がることはできない。

ベッドで横になるたびにそんな絶望感が襲ってくる。過去の栄光を引きずり、今の自分の立場を十分わかっていても脳が理解を拒否している。誰でもできるような単純作業をするために生きているんじゃない。でも、このままだとこれしか道はない。

「もういい。福岡に帰ろう」

就職を機に東京に出てきて20年。見事に打ちのめされ、敗北者となって地元に帰ることを決めた。いいさ、死ぬなら東京よりも地元がいい。

ランサーズを知る

2015年3月。

福岡でできる仕事をネットで探していると、ふと目に留まった「時間と場所にとらわれない働き方」の文字。

「ランサーズ?」

サイトを見てもあまりピンとこなかった。何しろずっとサラリーマンとして生きてきた身だ。フリーランスで働く人がいることは、知識として知ってはいたものの自分には関係のない世界だと思っていた。

既に福岡に帰ることを決めていた自分には、ランサーズよりも福岡の転職情報の方が重要だった。いくつかエントリーをし、その後再びランサーズを見てみる。

「しばらく小遣い稼ぎしてもるのもいいかも」

そんな軽い気持ちで登録だけしてみた。そして簡単なタスクをやってみた。アンケートサイトなどでよくある、簡単な設問に答えていくだけのタスクだった。20分くらいかけて回答を終え、報酬は5円。これがランサーズとの初めての出会いだった。

ランサーズを使う

2015年4月。

今の勤務先は7月までの契約となった。本格的に福岡へのUターン転職を考え始めなければならない。

そうそう、3月はランサーズで10個ほどタスクをやっていた。月収79円。

小遣い稼ぎと割り切っていたとはいえ、仕事終わりに自宅で作業するということのしんどさとあまりの報酬の安さにランサーズの活用を止めようかと思っていた。

そんな時、ふと目にした「観光記事作成」の仕事。東京と横浜の観光地をピックアップして書いて欲しいというものだった。どうやらプロジェクト形式でこちらからの提案が必要らしい。

「これなら俺でも書ける」

そう思い、また観光記事を書くというのが面白そうなのでダメもとで提案してみた。

数日後、当選メールが来た。他にも応募者がいたはず。なぜ俺が当選したのかわからない。が、とにもかくにも当選したのだ。

東京の観光地を10か所ピックアップしてそれぞれ600文字で説明するというのがその内容だった。報酬は2,500円。横浜もあるので合計5,000円。ランサーズ手数料を引かれて4,000円の収入となった。

上手くやれば小遣い稼ぎ程度にはなるんじゃないか

なんとなくランサーズの使い方が分かってきた2か月目だった。

クライアントからお礼の電話が!

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2015年6月。

なんとなくコツをつかんだのか、5月は18,000円近い収入となった。小遣い稼ぎとしては十分だ。

そしてプロジェクトにも引き続きいくつか提案し、当選していた。この数ヵ月の経験で「ランサーズで受注するにはこれまでの実績が重要」であることを理解するに至った。とにもかくにも、実績がないと提案しても通らない。

来る日も来る日も仕事終わりに自宅に戻って、めぼしいプロジェクトに提案していた。そんなある日、ふと目に留まったのが「もつ鍋の記事を書いて欲しい」という依頼。クライアントはどうやらもつ鍋に関するブログを書きたいらしい。

「これは書きたい!」

福岡出身者として外せない案件だと直感した。もつ鍋は子どものころから親しんできた郷土料理だ。もちろん、帰省のたびに口にしていた。熱意を込めて提案文を書き、クライアントにアピールした。結果、当選した。

もつ鍋には思い入れがある。中でも楽天地というもつ鍋屋は学生時代からお気に入りだった。古い雑居ビルにある汚いお店(当時)だが、味は抜群に美味かった。しかもめちゃくちゃ安いのだ。何度も同期と行ったし、デートでも利用したことのある思い出の店だ。

プロジェクトに当選後、クライアントからメッセージが届いた。その冒頭にこう書かれていた。

「こんにちわ。福岡にある楽天地というもつ鍋屋の店主をしている水谷と申します。この度は担当していただきありがとうございます。つきましては・・・」

目を疑った。こんなことがあるのかと。そしてこの瞬間、スイッチが入った。

自分にできるだけの想いを込めて記事を書いた。もつ鍋物語。今でも楽天地のサイト上に挙がっているので気になる人はぜひ読んで欲しい。楽天地の歴史と店主の苦労を、ドキュメンタリー風に表現したものだ。

納品後、クライアントの水谷さんから電話をいただいた。

「ものすごくいい記事をありがとうございます。妻と感動しています」

「あといくつか記事をお願いしたいのですがいいですか?」

電話を切った後、涙があふれてきた。そうか、しばらく忘れていたけど、仕事の醍醐味ってこれなんだよ。よかった。喜んでもらえた。

この時の感動を今でも忘れてはいない。そして、この出来事が福岡へのUターンを決定づけることになったのも事実だ。

そして2015年8月、福岡へUターンした。

楽天地のもつ鍋がいつでも食べれるようになった。

ランサーズが無ければ今の自分は無い

Uターン後、アルバイトをしながらwebライターとして活動を始めた。仕事の獲得はランサーズだけ。生活を安定させるためにアルバイト中心ではあったが、2016年にはwebライターだけで食っていけるようになったのでアルバイトも終了した。

以降、ランサーズだけでなく直接取引も増え、いつの間にかサラリーマン時代の年収に追いつこうとしている。

そして相変わらずランサーズにはお世話になっている。2019年時点でもランサーズ経由の案件で収入の5割前後を占めているのだ。

この間、ランサーズにはいろいろな仕事をいただいた。クラウドソーシングのプラットフォームとしてだけでなく、ランサーズが手掛ける自社案件もいくつか声をかけていただいた。地方創生を目的としたセミナー講師などはその一例だ。冒頭の簔口さんとはこの仕事で知り合い、九州各地を一緒に回ったりした。

いまこうやってフリーランスとして活動できているのは、ランサーズがあったからに他ならない。ランサーズを介してさまざまな出会いがあり、仕事の機会にも恵まれ、なんとか生き延びてきた。

今後もランサーズ抜きには人生を語れないであろう。願わくばこの先、もっともっとサービスの充実を図り、多くのクライアント企業を発掘し、自立できるフリーランスを増やしてほしいと思う。

新しい働き方LABのコミュニティマネージャーになったのも、その想いを具現化するためだ。働き方を、そして人生を変えるきっかけとなってくれたランサーズに、深く感謝している。



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