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麒麟が来るに続き、鎌倉殿の13人。歴史の舞台も背景も岐阜にある。「決戦はいつも岐阜」

岐阜県可児市にある花フェスタ記念公園、改めローズガーデン。
19年は「明智の荘」ということで盛り上がりましたが、今年は「承久の乱」の地で可児市を推していくようです。
下記の展示を行っています。

壬申の乱・承久の乱・関ヶ原「決戦はいつも岐阜展」を開催します - ぎふワールド・ローズガーデン (gifu-wrg.jp)

1・岐阜県可児市の地理

岐阜県の地理的なことをいうと、まず東山道と呼ばれる奈良や京都から東北地方まで続く重要道路の京都寄りであったということ。

東山道は国道21号から土岐市で19号に変わり、長野へと続く。
京を狙う東軍と京を守る西軍が最もぶつかりやすいところなのだろう。
そして適度に田舎(笑)。合戦のできる野があり川がある。
また、東山道のおかげか、可児市には古くは、日本の皇族。第12代天皇后。景行天皇の皇后である八坂入媛命(やさかいりびめのみこと)の父親の墓など、もあり古墳も豊富。

2・戦国時代

いわずもがな、関ケ原の戦いが有名なのは岐阜県関ケ原町。「天下の分け目」。
また、織田信長の居城、岐阜城はあまりにも有名。
ちなみに、明智光秀が可児市の明智出身だとすると(諸説ある)、本能寺の変で討たれた森蘭丸も可児市兼山出身。歩いて1時間程度の距離感。
地方の喧嘩を、京都でやって本能寺が焼ける。京都もたまったものではない(笑)。

3.承久の乱

歴史の教科書で見たことがある戦いもまた、可児市であることを知ったのは今日。
正確には可児市と美濃加茂市の間に流れる木曽川の渡し周辺。
後鳥羽上皇が鎌倉幕府の北条義時を討とうと兵を揚げた戦乱です。
この戦い以降、「幕府」が京都を監視する、いわゆる武家政権、鎌倉、室町、江戸と日本を支配していった歴史的な戦いなのですね。

4.壬申の乱

天智天皇の息子である大友皇子と天智天皇の弟である大海人皇子による古代史最大の戦いもまた、関ケ原町。
激突の地なのですね。

5.まとめ

実は住むまであまり知らなかった岐阜の歴史。紐解くと色々な時代の史跡が現れ、面白いです。
これからも探求していきたい次第。
そして、今年こそ、NHK大河ドラマを見るようにします!!!
(すでに、もう3回分見逃してるけど!)


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