見出し画像

侵略反対。ということでオーケー?

戦争反対という言葉に、違和感がある。

戦争はイヤだ。当たり前だ。
あれほど人間は愚かだと感じることはない。

でも戦争反対という言葉には、戦うことを全否定するニュアンスを感じてしまう。
例えばもし他の国が攻めてきて、自分の目の前で最愛の人が殺されてしまったとしよう。
そこで自分が抵抗したら、その国と日本の戦争が始まってしまうとしたらあなたはどうする?

耐えてニコニコすることが正解だろうか。

さらに自分たちの資産を差し出し、領土を取られ、奴隷のような生活を強いられることが確定しているとしても、戦わないことが正解だろうか。

僕はそうは思わない。

戦争反対という言葉は、やられている側に、「でも戦争はいけないことだからさ。悔しいかもしんないけどさ、やりかえしたりしちゃ、ダメだよ。過去に家族を殺されたり、遊びで手足をもがれちゃったりされたのかもしんないけどさ、君たちが始めちゃったら、俺ら悲しくなっちゃう。涙ぐんじゃう。切なくなっちゃう。俺らの胸が痛くなっちゃうんだよ。それはイヤだから、やめてね」と言っていることにもならないかい?

今香港は戦っている。そうしないと自分たちの人間としての尊厳がなくなるからだ。
もしウイグルやチベットが立ち上がったら、戦争反対って止めるのか。

もちろん好き好んで殺し合いさせたいわけじゃない。何度でもいうが戦争はイヤだ。当たり前すぎるんだってば。戦い方だっていろいろある。
それに、そういう意味で戦争反対を使っているつもりじゃない人だっているだろう。それはわかってる。

これってさ、正確にいうと侵略反対じゃない?

力で支配しようとする勢力に、それはやめろという意味で。そういう理不尽な行為に、僕たちは反対しているのではないか。

なにかに忖度している人たちがいて戦争反対と言うから、ついつい同じ言葉を使っちゃってるだけであって。

侵略されたら、やっぱり戦うべきで、その前に、侵略しようとする動きに、全力で反対する。

多分多くの人が言いたいのは、そういうことで良いですかね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?