子供の仮説を否定するな
「ADHDだから◯◯出来ない〜」
と将来子供に言われたら私はどう捉えて何と返すだろうか。
私がそう言えば「アホな言い訳すんな」「甘えんな」と秒で返ってくる環境で育てられたけど、それって一種の思考停止だよねと最近思う。
(自分の非なのにADHDを100%免罪符にしている芸能人や一般人が最近増えたがそれはまた別問題とする。)
私は中学の時、授業中寝てばかりだった。
体育や音楽の実技教科以外は必ず1日のどこかのタイミングで寝ていた。
先生の目の前の1番前の席でも寝ていてさすがに先生にも親にも怒られまくって、自分なりに色々と原因を調べた。
授業がつまんないから?
つまんないのは先生が嫌いで話が耳に入って来ないから?
それともこの教科に興味が無いから?
でも好きな教科でも寝るんだよな〜…。
もしくは私がなんかの病気だから?
部活で思った以上に疲労してるから?
足りてると思ってる睡眠時間が足りてないから?
だとしたらどうすると寝ないで済むんだろう?
なんなら先生の目の前の1番前の席ですら眠い。考えてたらまた眠くなった。寝ちゃいけないと思うほど無理。眠い。
気づいたらまた私は先生に名指しで怒られて目を覚ました。
それが中学生活ほぼ毎日だった。
話は変わるが、私は最近になり仕事内容が変わり、それに伴い仕事の進め方を変えた。
(話の流れで追記すると仕事中に寝る事は無い)
仕事で問題が発生した時に、まずは仮説を立て解決策を講じてそれを実行して振り返る。
この一連の流れって、どんなにしょうもない事でも私は子供の時の方が自然と出来ていた気がする。
子供の時に簡単に出来ていたはずのことが大人になって難易度が高いと感じる。
いや違うでしょ、と否定されるのを繰り返されると仮説を立てる前に自然と「いや多分違うんだろうな」が先にきてしまう。
そして「正解をくれ」に思考が飛んでしまう。
それが最近の私だ。
そうなった過程を考えていた時に中学時代の事をふと思い出して、今noteに、完全に自分のために書いている。
親からするとただの子供の"言い訳"に見えても子供にとっては精一杯捻り出した"仮説"だったりする。
もし今後子供が出来たら、子供の言い訳を言い訳として処理せずまずは子供なりに考えて出した仮説として処理できる大人になりたい、と思った。
子供の問題を、子供の言い訳で処理するのはあまりにも思考停止している。
本当にその可能性があるなら、その場合の打ち手を一緒に考えてあげる大人になりたい。
そして、私に対しても大人達がそうであって欲しかったと切に思う。
親に
「私アレかも〜ナルコレプシーかも〜」(※いつでも眠い病気)
と、ズレていてもきちんと仮説を立てて、
自分なりに課題の解決策を探していた中学生の私のことはこれからも忘れず大切にしていきたい。
※補足
もちろんナルコレプシーでは無く足りてると思ってる睡眠時間が中学生には足りていなかった、が解
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