「はじめる」ということ

私の知人にこんな方がいる.
「今日はね,これからお歌の練習に行くのよ」
そういって彼女はおぼつかない足取りで隣町の市民センターまで向かった.
そう,彼女は80歳を目前に控えた老婦人である.年末に向けて合唱クラブでベートーベンの交響曲第9番,いわゆる「喜びの歌」を皆で練習しているのだとか.しかも,原国語(ドイツ語)でだ.

その一歩はいつ踏み出すのか

我々を取り巻く環境は常日頃,細かく変化している.とても身近な例を言えば,今朝あなたはハンガーに掛けてあったコートをもぎ取って,息を白くしながら会社あるいは学校へ向かわなかっただろうか.そして思い出してほしい.そんな行動を一か月前のあなたは行っていただろうか.
お察しの通り,あなたは「寒くなってきたな」というあなた自身の判断で,変化した環境に適応するためにコートを着たのだ.我々は気付かないうちに変化している環境に対して,具体的な行動という自分達なりの解を見出している.それが順応性というものだ.

しかしながら,本題はそれではない.
上記の例はあくまで「その環境がこうなったから私はこうしよう」という,いわば対症療法のような後手後手のものである.より厳しく言うならば,そろそろそれをやらなければヤバい,という追い込まれた状況だ.夏休みの宿題をギリギリまで放置していた人にとっては,馴染みのある状況ではないだろうか.お察しの通り,私にとっても身近な状況だ.

気付いた時にはもう遅い

先ほどから引き延ばし引き延ばし,随分と勿体ぶって結論を言わずにいる筆者はなんと性格の悪い男だろうか.しかもこの段落に来て余計な雑談まで挟む始末である.何のために記事を書いているのかを問い詰めたくなるだろう.
そう慌てずとも,わざわざここまで読み進めてくださった余裕綽々の読者様方は,心の中ではもう結論に気づいているのではないだろうか.
そう.既にスタートを知らせる撃鉄は鳴り響いた後だったのだ.これを読んでいる間にも,あなたの同僚や友人はあなたの知らないうちに新しいことをはじめているかもしれない.やらなければ,と気づいた時にはもう他の誰かは走り出しているのだ.

音も無く忍び寄る「はじまり」

どうすればいいというのだ.この段落まで来たあなたの頭の中には,そんな疑問が浮かんでいるはずだ.しかしながら,あなたに残念なお知らせをお伝えしなければならない.
過ぎた時間は戻らない」のである.ならば,あなたが今取るべき行動は一分一秒でもその遅れを取り戻すために動き出す他ないのだ.

冒頭で紹介した老婦人の話を読んだ際,あなたはどんなことを思っただろうか.そして,今もう一度それを思い返したときに,それはどんな思考へと変化しているだろうか.
そう,ここで皆様にお伝えしたいことは,以下のとおりである.

・遅すぎるなんてことはない
・早すぎるなんてこともない
・でも,気づいてしまったなら「今」だ

だから私も,こうして書かせていただいているのだ.
技術的なことを伝えるのはもっと優秀なエンジニアが教えてくれるはず.私は,今までの経歴から得た「人間力」に関して,少しでもお伝えできればと思う.

きびあきという一人のエンジニアが伝えたいことを,是非とも心の片隅に控えさせてください.


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https://twitter.com/kibi_aki/status/1072865354324426758

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