アナグマの本気と私の本気

果樹園の柵下を掘り侵入しようとしているアナグマと、私との戦いが続いている。

ここで、アナグマは本気を出しているが、私は知恵と力をフル回転させてはいないことに突然気がついた。

本気とは何なのか。
彼らの行いは生存に直結しているが、私はそうではない。

金銭で、物量で、近代産業の成果で解決できると思っている時点で私は既に「本気ではない」のかもしれない。

でも、課題を解決可能な手段がそこにあるのにそれを拒否するのは、「本気で」課題を解決しようとはしていないのかもしれない。

まあ、こういう極論を弄んでいること自体が遊びのようなものだけどな。

‥‥‥使われていない鉄の角柱?があったので、それを柵の根元に転がしておいたら、その場所ではアナグマが侵入口を掘っていない。下を掘れば突破は造作もないことなのに。
このへんにヒントがあるような気がする。

彼らは、目の前にあるものに爪が立たないとみると、その時点で掘るのを諦めるのかも(そして、別の場所へ行く)。
上に張り回している電気柵などは、そもそも動物がそういう行動を取るという想定で設置している。突破する気になればできそうなのに、一度失敗すると手を出さない。

(偶然にでも)成功体験があると執拗に付け狙うけれど、一度でも手ひどい失敗を体験すると、(時が経って忘れるまで)寄り付かなくなる。そのへんに、私たちが付け入る隙があるかも。
(2023.12.12/13)

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