な日的記 10/7

体調がよくなかった日。日記的なエッセイ17日目です。

そしてこのエッセイではランダムに選ばれた5つの単語を
安静に寝かせておいて活性化させる企画です。

使用しているサイトはこちら↓

そして今回の単語はこちら、


好意

向けられている好意が苦手なことがある。特に、自分のことを過大評価している人から向けられている好意は特に苦手、「それは違うよ~」みたいな気持ちになってしまって、素直に喜べない。

本当は、向けられた好意もお褒めの言葉も「ありがとうございます」と受け入れるのが美しいのだろうが、どうもそうはいかない。

おそらく、字が汚いのに「字がうまいね」とか、運動音痴なのに「スポーツ上手だね」というのが所謂あおりになるというやつの、延長線上にあるのだろう。もちろん、それでも褒められるのはうれしいという人は一定数いると思うので、手放しにいけないこととは言えないけど。

すべての好意に好意を持てるようになりたい。

可燃ごみ

たまにゴミを捨てられない時がある。正確に言うと、捨てられないゴミがたまにある。具体的には、捨てられずに放置してしまったゴミを、再びゴミだと認識するのに時間がかかる。

ペットボトルの飲み物を飲み終わって、空いた容器を机の上に置く、そのまま捨てないでいると、ペットボトルが風景になる。使えないのにおいてある電池とか、インクがないのにペン立てにさしてあるボールペンのようになる。

飲めないのにおいてあるペットボトルをゴミにするには、もう一度ペットボトルの飲料を飲み干し、ペットボトルのゴミを2つにする必要がある。

お茶の間

お茶の間という言葉ってもうほとんど死語になっていませんか?お茶の間って今の建築にないですよね。リビングはあっても、それをお茶の間と表現することはないはず。

それに家族みんなで食卓を囲むというのも、徐々にフィクションになっている気もします。悲しいと思いつつ、今まで家族というだけで無理やり共同生活を送らなければならなかったのが、技術によって解放されたという見方もできるのでしょうか。欲しい人には喉から手が出るほど欲しい権利でしょう。

なにより「お茶の間が凍り付く」のような、一つのメディアを複数人で視聴する前提も覆された。スマホで一人一人違うものを見ているので。
できれば私のエッセイは家族で見てほしいな。誰か音読して!

観客

サッカーとか、陸上とかの大会を現地の観客席で観たことがある。感想としては、映像の方がいいということ。特にサッカーの試合は、遠くから見るとボールが小さいし、天候によっては暑かったり寒かったり、濡れたりするので、あんまり楽しめないこともある。

もちろん、選手たちを直接応援したい人とか、スタジアムの雰囲気を感じたい人にとっては現地に行くべきなのだろうが、シンプルにスポーツを楽しみたい私のような人にとってはモニターの前がちょうどいい。

色々な角度からプレーを見れるし、選手の表情がわかるのもいい。
買ったときの笑顔、どのスポーツでも変わらず好き。

蜘蛛の糸

犍陀多は蜘蛛の糸の下に群がる人々を見て、降りろと言い、蜘蛛の糸が切れ、登りきることはかなわなかった。

もし、犍陀多が上がってくる人々を受け入れたら?極楽は地獄の人々に埋め尽くされてしまうだろう。ヤバそう。犍陀多一人くらいなら極楽に入れてもいいだろうとなると思う。役所もそんな固くないでしょう。

でもそれが数百人、あるいは数千人となったらそうはいかないだろう。お釈迦様めっちゃ怒られそう。始末書で済んだらラッキー程度に思っていいだろう。

お釈迦様が選挙で選ばれていた場合、次の選挙で当選することはないだろう。あるいは、お釈迦様の親が偉くて、そのコネで仕事を得ている場合、親の立場が危うい。

おまけ

好きな漫画

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