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自分を知る映画:パラサイト

ニオイを辿れば、かなり強烈な屈辱を人に与えられるのではないだろうか。この映画を観た後にそう感じた。ひとが持つ「異質な匂い」に関し、たがいに同調を求める張本人達には、何の感情もないように映った。その無関心さは、目には見えない無意識の鮮明さでもって、より深刻な格差を位置づけていた。


ニューヨークの地下鉄では、人を寄せ付けないくらいの異臭を放つホームレスが席に座っていることがある。停車駅ごとに人々はその車両を避け、足早に移動する。この行動が『普通』と『一般常識』で解釈されている対処法なのだろうか?

「ひどく臭う」という概念は「自身の態度(在り方)」に起因するのではないか。そんな歌詞に開眼させられたことがある。「もっと第六感を働かせてみないか」と唱う。実にカッコいいジャズボーカルの一曲とひと昔前に出逢えたことはとてもラッキーだった。

脳裏に焼きついて以来、私は車両を変えずそこに座りながら、強力な匂いの空気を吸い込んで既に麻痺してた鼻で、自分自身が一体どんな思考をするのかを試し、自分のこころを読み取っている。こうして日頃からマインド・トリップしていれば、わざわざ旅に出なくても、はるか彼方を見渡せることがいつでも可能となる。

48歳から人生の本編スタート。「生きる」記録の断片を書く活動みならず、ポエム、版画、パフォーマンス、ビデオ編集、家政婦業、ねこシッター、モデル、そして新しくDJや巨匠とのコラボ等、トライ&エラーしつつ多動中。応援の方どうぞ宜しくお願いいたします。