ポエトリーパフォーマンス『Face the Music 〜 現実に直面する』動画その1について

この動画はシリーズものの第一弾で、サムネにある太陽の壁画のアーティストであるジャスミンとコラボした。壁画を前方から見て、その下部分に黄色の衣装を着た私が立った時、この作品が「キマる」瞬間なのだ。NARSのスタジオで一緒にこのビデオを観ていたmhのまゆみさんも、その瞬間、画面に指差して反応してくれていた。

ジャスはメキシコ人で、土着民のダンスグループで踊り続けるひとり。コラボ当初はダンサーでお願いしていた。その状況がどんどん変化していった。ひとえに、私が人の話を聞くのが苦手で、前頭葉の回転の速さにまかせて、思い込み、勘違い、詳細をすっ飛ばし身勝手な結論に辿り着いたのが原因だった。お互いの誤解を生じさせ、要は、常々の再確認を私のプロジェクトにおいて、その自分が怠った結果。自分のリーダーシップのなさに落胆した。

コラボ当時はふりまわされている感否めなかったが、今考えればおもしろいことの連続だった。まず彼女が提案したのは、そのダンスグループ内で実際に演奏しているドラマーを起用することだった。その男子、弱冠10歳。ヘビーな詩の内容から彼の参加はきびしかった。そして次にダンスパートナーが必要だと提案された。連れてきたのは腹違いの妹さんだけだった。それだけならよかったが、リハへ8歳の妹も連れてきた。それも事前の相談ナシで。

最終的に判明したのはダンスパートナーの彼女自体も15歳だったこと。私は自分がもらった奨学金からリハする毎、彼女達にお支払いするつもりだった。最終的にベンモでのアカウントを訪ねた際に、未成年だから開けられないので、ジャスが彼女のギャラも受け取ると返答があって躊躇した。同時にみずからお金を支払ってベイビーシッターもしている感覚にもなった。さすがの私も事の重要さにそこで気づいた。

ジャスに出会った当初お願いした通りに、ダンサーとして彼女ひとりでプロジェクトに参加してもらえないかと再度聞いてみた。古典的なダンスから枝分かれし、自分の表現方法を模索したいとの彼女に同感した。聞いてみれば、一人で踊るダンスではないとの一点張りで、これ以外に解決法はないとの返事をもらった。その時点で物理的なコラボは終わった。

パフォーマンス中に、壁画前で詩の朗読をわたしがすることで、彼女の名前を動画内のクレジットに残すことができるとオファーした。それがせめてもの私ができる彼女への感謝の表現だった。今回のジャストのコミュニケーションの中で、あらためて考える機会を与えてもらった。それは、どうして自分はこうやってある一定のタイプの人につけ込まれたり、その延長線上で、暴力を振るわれる対象にもなるのかについてだった。

そういえばウチの主人にジャスのことで相談した際、こう言っていた、「彼女に直接会わずともどんな人なのかがすでに想像がつく。すぐにコラボを辞めた方がいいと思うのでは、自分の仕事場でよく似た(つけ込み方をする)人達と毎日関わっているから。」

そして今回のパフォーマンスでシェアしている19歳の時のDV経験でなく、14歳の時に付き合った相手に暴行されていたことを続編のポエムの題材にする具体的な切り口にもなった。

48歳から人生の本編スタート。「生きる」記録の断片を書く活動みならず、ポエム、版画、パフォーマンス、ビデオ編集、家政婦業、ねこシッター、モデル、そして新しくDJや巨匠とのコラボ等、トライ&エラーしつつ多動中。応援の方どうぞ宜しくお願いいたします。