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中年こそ冒険者にふさわしい!

こんにちは。橘 吉次(きちじ)です。

突然ですが、きちじは「わからないもの」が苦手です。
わからない状態は、なんか魚の骨が喉に引っかかっているような感じで、
ずーっと気になってしまいます。

「わからないもの」は「かたづかないもの」と同義です。
片付くと落ち着く。
片付くとスッキリする。

あるべきところに収まって、美しい秩序が現れる。
「わからない」は秩序のない状態で、落ち着きません。

しかし最近「わからないを愉しむ冒険者」と出会いました。
そのことを書いてみます。


「わからない」は苦しみだ


皆さんは「わからないこと」に直面した時にどの様な感情が沸き上がりますか?
きちじの場合は、苦しみがでてきます。

例えば、
・パソコンの操作方法がわからない → あーイライラする
・難解な哲学がわからない → 息苦しい・壁を感じる・劣等感をもつ
・相手の気持ちがわからない → 何で?どうして?何考えてんの!
・上司命令の意味がわからない → 何言ってんの?それでも部長?
・やりたいことがわからない → 暗闇の中・迷路の中
・人生の意味がわからない → 苦しい・生きづらい

例をあげればキリがないほど、もうドンドンでてくる。
わからないことは苦しみだ
だから、その苦しみを除去するために努力する。

頑張って、パソコンの操作方法を調べて
辛抱強く、わからなくても哲学書を読みすすめ
全くわからない相手の気持ちを理解するために、議論を重ね
人生の意味を知りたくて、日々学び続ける。

これが、私の今までの人生だ。
だから、「わからない」を放棄しているような人って嫌いだったんだよね。

「わからないけどさ、わかんないままでもいいじゃね?」
「わからないよー。そんなの無理無理!」
「それわかると、なんかいいことあるの?」

志の低いやつらめ。
人生は「わかるを追求していく学びの連続」だぞ。
と思っていた。

だから、「これが答えだ!」と思えるような書物に出会ったときは、
魂が震えるほど感動した。
「わかった…」
これは、苦しみからの解放だったし、美の発見でもあった

とにかく答えが欲しい。
はやく答えを手に入れたい。
わかりたい。
「わかった」と実感したい…。

ずーっとそんなふうに生きていたなぁ…。

「それって若いってことじゃないの」と言われれば、そのとおり。

今、還暦目前の年齢まで生きてきて、
だんだん、答えは色々たくさんあることや
その答えを探す「わからない道のり」も愉しいもんだと思えるようになってきた。

今でも「わからない」は苦手だけれど、
若い頃にくらべれば、「わかる」に至る過程を味わえるようになってきたんだよね。

「年取るのって悪くないなー」
「わからないって苦しいけど、でもそれも悪くないよねー」
と思っていたのだ。

ところが、全く逆の考え方をする人に巡り合っちまった…。


冒険者マインドの人


最近、知り合いになった34歳の男性は、
「わからない」ことに対して、吉次と全く逆の反応をするのです。

彼は
「わからないことがあると、ワクワクする」
のだそうです…。

うっそー
なんでそうなるの?

彼の思考をもう少し丁寧にたどってみると
・わからない→わかりたい→わかっていく過程を体験できる→愉しい!
という思考経路だということが、わかりました。

彼は「わかっていく過程の体験」が喜びなんです。
吉次はこれを、苦しみの持続だと思っていて、
還暦前でやっと「まあ、悪くないかな…」ぐらいに思えるようになった。

これ、吉次と彼との決定的な違いです。

彼はいいます。
「予想どおりにならないと、驚いたり悔しかったりして感情が動く。だから愉しい」と…。

究極のプラス思考。
ポジティブシンキング…
と、最初は思っていたのですが、途中で気が付いた。

「これ冒険者のマインドだ…」

そうです。
冒険を好む人は、ワクワク気分で冒険をスタートさせて、冒険の旅そのものを愉しみます。
アクシデントや予想もしていなかった出来事をイベントとして楽しみます。

冒険者に無縁のものは「不安」と「怖れ」だ。
不安と怖れを抱えるものは、冒険者にはならない。

不安や怖れは、過去の記憶と未来予測の中から発生しますよね。
過去の失敗や危険な目にあった記憶を、まだ起きていない未来に投影するから、不安と怖れが生まれるのです。

「今ここ」だけに焦点を当てれば、不安も怖れもありません。

冒険者は、今を生きている。
今だけに生きている。


暇と退屈は拷問


彼は多分、一度地獄を見た人だと思う。
「永遠に続く暇と退屈」という地獄を…。

彼は少年の頃の事故で、身体の7割が麻痺していて動かすことができません。
その彼が言うんです。
「暇と退屈は拷問だ」と。

彼を目の前にすると
<楽して出来るだけ何もしないで生きられる方法を探している人>は恥を憶えるし、
<不安と怖れで後ずさりする人>は勇気をだして歩き出す。
<わからないを苦しみだと抱えていた吉次>は答えを探す冒険に旅立つのです!

彼は今を生きています。

人生は冒険だ。
何が起こるかわからない。
だから愉しいのだと、彼は人生かけて表現している。

吉次は魅せられてしまったのですよ。
魅せらて、そして、またまた気が付いた。

「これを老成っていうんじゃないの?」


中年こそ冒険者にふさわしい


冒険者とは、未来に向かって新しいチャレンジする人のことじゃない。

わからない人生を
わからないからこそ面白いと思って
今を不安も怖れもなく生きるひとを冒険者というのだ!

人生わからないのに、過去の延長線を引いて「わかったもの」と決めつけている中年はいっぱいいます。

そのくせ
「わからない未来」に不安と怖れを抱いている。

そんな生き方の先には「暇と退屈」の拷問しかないんじゃない?

やっと中年になって
「わからない」が苦しみではなく
わかるまでの過程を愉しめるようになれたんだ。

中年こそ冒険者にふさわしい。
冒険者になろうよ。

さあ、吉次と一緒に、冒険の旅にでよう!




ご興味があれば、覗いてみてください!
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橘 吉次講師「ストアカ講座」

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最後までお読みいただきありがとうございました。

では、さようなら




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