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他者の言葉で他者を語ること

武田砂鉄さんのラジオ『武田砂鉄のプレ金ナイト』を聞いている。
といっても、じっくり聞く回もあれば、お風呂で流してシャワーの音でかき消されたままの回もあり、聴取習慣はムラだらけ……

七夕の日のゲストは金原ひとみさんだった。
私は『蛇にピアス』も『マザーズ』も読んでいないので金原さんとの初の邂逅だったのだけど、印象に残る話があったので、残そうかなあと思います。

新刊『腹を空かせた勇者ども』は「知恵と勇気の爽快青春長篇」とあって、帯にある彼女の言葉曰く「この世に小説があることをしらないような、愛しい陽キャの小説」らしいです。
帯は「これまで書いてきた主人公たちとは、ともに生涯苦しむ覚悟をもってきました。でも本書の主人公には、私たちをおいて勝手に幸せになってもらいたい、そう思っています」と続くよう。

「自分から一番ちがう、いろんな意味でかけはなれた人物」を書いたとのこと。「人が好きではない、閉じこもっていたい、本が友だち」である金原さんに対して、今回の主人公は「友だちと楽しいことするのが人生だと思い込んでいるような」人。
「言葉をそんなに必要としない人たちを、言葉を使って書くこと」について話されていた。語彙の少ない主人公の思考をどう表すか、自分と違う人間を書く難しさを経験されたそう。
ちなみに金原さんは娘さんが「陽キャ」らしいです。

他者になった気分で、その人の使う言葉のみで物事を見るとはどんな行為だろうと考えた。めちゃくちゃに難しそう。
この世には自分とは大きくかけ離れた人たちがいて、近しく思えるけれどもやっぱり別の存在である人たちがいる。
そこらじゅうにいる、他人である人たちそれぞれが、多かれ少なかれそれぞれの言葉を使って生きているんだなということを思わされる。やっぱり他者の頭の中は、私には全然わからないんだろうなと思う。

そういった前提を踏まえて、他者の気持ちになること・それを理解しようとすることというのは本当に途方もない行為で、けれども尊いことでしょう。
そういうことを忘れては、ついついわかった気持ちになったり、反対にわかってもらっているような気持ちになりがちだなあと思っていた。

最近はほんとに、他者は他人だなあということについてばかり考えちゃう。
とはいえ誰かといると忘れがち……大事なことなのにね。

かなり割愛してしまったし、ほかの話もおもしろかったので、
タイミングがあれば聞いてみてほしいなー!


ついしん
LUSHの洗顔とてもよかったよ~肌がふわふわするね🥹
自分だけでは出合えなかったものが家にあるのもとてもうれしい。ありがとうね🥺
また来年も祝い合おう~🎉 甘いもの食べればよかったかね!?

わかば


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