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ハイレベル且つクリエイティブ

さてはてそんなわけで気負わず投稿してゆきたいと思いま〜す。自己紹介を終えて最初の投稿は、今日、目に止まった言葉

『愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。』

から。

え、はじめから愛とか語る笑?あんた美輪明宏ですか、ちゃいますKicoです。でも愛って生涯向き合って損はないテーマでしょ?ンなわけでカジュアルによろしく〜。

これはサン=テグジュペリの有名な言葉なんですよね。他者と心地良い関係を築きながら長く付き合おうと思ったらどうあるべきかを象徴しているような言葉だとわたしは捉えました。

分析!

見つめ合う=性的なニュアンス、HOTな状態、つまり恋愛モード。或いは相手の反応や状態に注目している様?不安や執着の強い人なら、私を見て!気にかけて!私はこんなにあなたを気にかけているよ!と熱線を送り続ける人もいるかしら(それは時として相手を焦がす笑)。

つまりは恋愛モードや不安モード/おおよそ自己愛モードと呼べるだろう、と、ネクストモードはそもそもモードが違う、てことですね、サン氏の言うところでは。性欲や執着など自己愛の先に、愛がある、と。まあでも分かります、わたしもagree!

※ここらへんについては以前、友人達とわたしのPodcastチャンネル〝煩悩飯店〟の『大結婚論争』の回でも語り合ったテーマでもあります。良かったら聴いてみてくださいね!

しかしながら相手ありきの関係性に於いてですな、じゃあ愛というネクストモードへ切り替えてゆくぞ!ってなやる気になったとしてもあるあるなのは、自分と相手の成熟度や気持ちやタイミングが同じとは限らないってやつ。当たり前なんだけどさ。夫婦片方だけが恋愛モードでまだまだ見つめ合いたいけど片方はもうネクストモードに突入したいと思ってるとか、恋愛相手としてはよかったけどネクストモードに突入する際の相棒・チームメイトとしてはイマイチとか間違えたとか最低(笑)とか、相棒・チームメイトとしても恋愛の相手としてもしっくり来なさすぎてるからアナザーモードが必要(笑笑)とかね。珍しくない。

様々なモードの愛をすべてを同じ〝愛〟で括っていることにより、その変化に混乱している人も多い。

そもそも、自分に向き合うこと・他者に向き合うことが苦手な人もいるのだから、自分の欲求や意思をクリアに理解することも、それらを伝え合うことすら難しいと思う二人だっているかもしれない。

なんなら更にその前に向き合うことが苦手ということ一つにしたって、向き合い方を知らないとか、向き合う必要性を感じてないとか、向き合うという概念が無いとか。〝向き合うべきポイントを抑えて互いにリスペクトしつつ、寄り添って伝え合い歩み寄れること〟と〝相手の一切合切を把握・理解・解決などしたいというような不可能な欲求〟はまったくの別モノであるにもかかわらず同じようなイメージで括っているなんてパターンも、、、あるある。

『愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。』、、、これが理想的な姿であることには間違いないの。てかそうあれるならすごくクリエイティブな良い関係だよね!何も恋愛関係だけでなく、親子でも友人でも、そうじゃない?期待や執着から放たれた、心地よく頼もしい関係。

だけど同じ方向を見つめて寄り添うための個人スキルはご覧のようにかなりのハイレベル。そのハイレベルを互いが達成していないと難しいから、ポテンシャルやモチベーションや関係性などなど様々な要素から無理ゲーを認めて折り合いを付けたカップルが、離婚や卒婚を選択することもそりゃ、このご時世当たり前になってくるわけですね。

まずは互いの精神的自立(自分や自分の人生に責任を持っている大人であること、といえるかな)とリスペクトが必須だろうな〜。希望や感情など言わないと伝わらないことを言葉で伝えられ理解し受け止め合って持ちつ持たれつ出来る能力や、信頼や余裕(待ったり待ってもらえたり、頼り合えたり、赦し合えたり)も大切。

知性も経験も運も謙虚さも余裕も必要ってことですね。ハイ、ほぼ無理ゲー、ですネ。そんな男性、ほぼ存在シナイデスネ。男性も女性にそう思ッテルト思イマスデスヨ、アーハハハ。あ、いけねえ!絶望で人間らしさを失ってロボ化しちゃってた。

そうねだけど、そういう風にありたい、あろうとする姿勢が互いにあるとないとでは、2人の行く末がまったく変わってきそうです。

『結婚する前は両目で良く見て、結婚したら片目を閉じて』という言葉も、ウィットに富んでおもしろい知恵のような言葉だなと思うのだけど、多分きっとたくさんの人が結婚前によくよくガン見した上で結婚してから『間違えたー!!!』『(白目)』『なんじゃこりゃぁぁああああ』って七転八倒してるはずなので、下手したら結婚後に片目どころか両目閉じたいケース満載でしょうからね。

そこで古い言葉にもバージョンアップが必要と考えたわたし。サン氏の言葉を借りた上で新しい解釈を添えさせて頂きます!!!

『どうせ結婚するのなら思う存分恋愛楽しんで、落ち着いたら切り替えて。だけどもしも無理ゲーすぎて両目閉じるようになったらアナザーステップとか案外いろんな選択肢あるから絶望しても安心して。』

こんな感じで如何でしょう。

わたしが京都の美大生だった頃、大阪から遊びに来ていた男友達がくれた、彼の大学の授業の課題図書/エーリッヒ・フロムの〝愛するということ〟。あの本に『愛とは学んでゆくものである』と記されていた。40代になって19歳のあの頃よりその意味がリアルに分かるようになって楽しい。

ちなみに今日の写真は夏に多摩川の上流へ泳ぎに行った時、夫が『わーいわーい、オレ、きょっこ石(京子の石 ※京子→わたし)見つけた!!!』とはしゃいでいたので、『は?どういう意味??』と尋ねたところ『ホラ、乳首♡』と嬉しそうにして見せつけてきた時の一枚。腹立つと同時にちびるほど笑いましたよね。そんなわたし達も大人同士として愛を学びあっている、まだまだ最中!愛はハイレベルだ、精進します〜。

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