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「クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代」を観て感じる120年前の革命的な時代の変化

東京都美術館でやっている「クリムト展 ウィーンと日本」を見に行った後、クリムトにはまってしまい、その流れで、19世紀末に起きた様々な事が気になってしまっていて、ついつい色々なことを調べているうちに、このドキュメンタリー映画「クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代」を銀座に見に行った。

そもそもドキュメンタリーなので映画自体は、面白いというより、その時代に興味があるかが重要。ましてや第一次世界大戦の少し前という、学校でもかなり、すっ飛ばされて教えられている歴史の部分。

でも、この19世紀末って、調べれば調べるほど、なんか今の時代の空気感に通じるところがあって、もっと深く知りたくなるような時代なのだ。

19世紀末から20世紀初めというと日本は、明治の終わりから大正にかけて。

退廃的な空気も戦争に向かっていくナショナリズムもすごく今に近い。

産業革命を経て、科学が発展してきて、機械化が進み、人々の暮らしもモラルも劇的に変わっていく。その中で生まれてきた芸術は、宗教や神話を元に描かれたものとは違い、人間の本質をさらけ出すもの。特にクリムトやシーレが表現したものは、女性の解放だったんだと思う。

120年前のことなのに、その時代の女性は、家にいて、子供を産み育てるという存在が世間の常識だった。それが、女性にも意思があり、仕事をして自分で食べていく事ができ、一人の人間として、男性の付属物ではない生き方を選ぶ女性が少しずつ出てきていた時代。

ファッションもコルセットで締め付けていたドレスを解放し、動きやすいスタイルにどんどんと変わっていった。

その時代の変化は、たった120年前なのだと思うと、それまでの女性たちはどれだけ自由がなく、抑圧された存在だったかと思う。しかし、考えてみるとそれは、女性に限ったことではなく、男性も自分の家や長男なのか次男なのかとか、個人としての意思よりも、こうあるべきという社会の仕組みのパーツとして、役割を全うしなければ、社会からはみ出して生きていけなくなっていくのが、普通だったんだと思う。

19世紀末、そのモラルが、少しづつに崩れていった時代。それが、今の私たちのモラルにつながっていっていると思う。

クリムトやシーレは、性の解放やエロスを表現し、女性にも快楽を求める気持ちがあることをストレートに伝えた。その当時の批評家からは、酷評されたが、大衆はスキャンダラスな彼らの芸術を無視できなかった。

120年経った今、その当時の衝撃は、私たちにはわからない。なぜなら、彼らが示した新しい時代の考え方が、今では当たり前のことになっているからだ。

そう考えると、今の時代の私たちが、ある部分ではまだうまく受け入れられていないLGTBの人たちに対しての偏見や 引きこもりの人たちへの不寛容な気持ち、夫婦や親子のあり方に対しての考え方も それは、今現在の常識にとらわれているだけなんじゃないかという気がしてくる。

あと、10年から20年、もっと経ったら、今、抑圧されているその感情も全く違ったように感じれる時代が来るかもしれない。

19世紀末の時代の変化を知ることは、今のこの時代の変化の先を感じることのように思う。グローバルに世界で起きていることを知ることと同じように 過去に起きた時代の変化をそに時代に生きた人の気持ちになって感じると、今の自分が何にとらわれているかが見えてくるのかもしれない。



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