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静寂と動の共存を据えから見る者とは

普段の休みの日、ただの休日なのにコーヒーのことを考えてしまうくらいコーヒーバカになったのはいつからだろうか。


私がふと遠くに行って、自然に触れたくなる衝動で忙しい中でも行くのには無意識の自覚がある。
それは決まって自分の中の考えと向き合いたい時だ。

自然の中にいるというのは周りが自然なので、自分も無意識に自然体でいられて、心の声を聞きだせる時間だったりする。


あと3ヶ月でどうしたいのか。
ワーホリに行く前と今の違いは。

とにかくワーホリに行けば何かが見えると思っていた。
実際、今後の目標の明確化はできた。

だがしかし、本当のところ今は何がしたいのか。それだけがわからなかった。

やっぱりニュージーランドで暮らしたい気持ちは増すものの、それを実現した後はどうしたいのかがわからない。
もちろん、コーヒーとは関わっていきたいけれど、その先は?
全てにおいて堂々と語れる自分がいなかった。

そもそもな話、それは日本でもできない話でもないのにどうして海外という選択肢を捨てきれないのか。

日本で働いてもいない私には何も労働に関しては口は出せない。
それはわかってはいるものの、楽しいという人が半分いれば、半分は楽しくないけど、楽しくなると信じきる者。

何が正解なのかはわからないけれど、その前者を勝ち取れる自分がどうしても想像できないのだ。


では、何が自分の中で引っかかるのか。

それは”視野”と”希望”だった。

間違いなく、今までは憧れという面で海外のいいところばかりに目がいっていた。実際のところはそうではなくて、海外からの視点を取り入れることで日本を見るからこその利点と欠点が自分の中で落とし込めた。

それがおかしいのだと、誰かが声に出しているのを聞いて気づくことが大半なのだと、そしておかしいと思いながらも行動に起こせず、ただSNSを通して訴える。
現状に対しては、自分が海外にいて、それを見ている側なので外野の視点になるのだ。そして、そんな自分から、日本のためにというより世界という視点から日本にもできることをしたいのだと自分の中で落とし込めた。


多分、日本にいるだけでは日本についてどうしたいのかばかり考えていたと思う。もちろん海外の意見は取り入れつつも、生まれ持った国のために何かをしようとするのだと思う。

別にそれはいい意味なのだけれど、完全に視野がとても狭いのだと今だからこそ思う。
世界の問題はきっと日本にも当てはまる問題で、今後日本にも訪れる可能性のあることかもしれない。なのに、もし日本だけを見ていると予知すらできなかったこともあるかもしれない。

全てにおいて考えることもできず、何かに特化しないといけないけれど、視野と視点を増やすことは本当に大事なのだ。
だからこそ英語の理解がかなり深まったし、現にコロナの情報もきっと日本のニュースより詳しいと思う。

そして環境問題も含め、とにかく視野を可能な限り広く持っておきたいからこそ、そして少しでもその視野を元に日本のために何かができればと思うからこそ海外拠点を選ぶのだと思った。


そして希望。

これに関しては、自分の中で何のために頑張って幸せを感じたいのか。
周りを気にすることなく、みんなが平等であり続けられる環境がたまらなく安心できる。

今は特にそう。自分の仕事に対して誇りを持てるし、だからこそ自分が輝いて好きになれるのだと。

もちろん、国としてニュージーランドの未来は確定していい方向かって言ったらそうでないのかもしれない。
けれど、国民自身頑張って動かそうという努力はたくさん目に入る。

仮に日本で動いても、たったその程度の動きではと思うのかと思う。というより、自分は自分という考え方が強い。だから変われないのではないかと。


私は日本を捨てるというわけではなくて、誰かと繋がりながらしっかり議論していい方向に流せられるような仲介役になりたい。
逆に完全に外野になってしまうと、橋渡りするものがなくなってしまうので。

パーマカルチャーや政治、とにかく自分にできるであろう最大限のことを成し遂げられたらと心から思う。
だからこそ、英語を頑張って今を生きているのだと思う。

それが今回の私の対話だ。

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