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未来への現在の犠牲-しんどい今を頑張る意味-

ポンです。
今回は行動というより思考回路のお話です。
環境が辛いという方の一助に。

気づけば多くの医師たちより臨床経験が長くなった。
年収も仕事の内容も一定のラインは保っている自負があるし、キャリアの相談も受けてきた。

順風満々に思えるかもしれないが、今に至るまでは苦難の連続だった。

「今はしんどいが、これが終われば、ひと段落するから頑張ろう」
そう思って、過ごしてきた日々がやまほどある。

  • 専門医をとるまでの辛抱だ

  • 学位をとるまでは頑張ろう

  • 次の転職まではやりきろう

  • こどもが幼稚園に行けば楽になる

  • 中学受験が終われば楽になる

今もそうして過ごしているレジデントの皆さんは多いのではないだろか。
人はどこかしらに、現在の苦難を乗り切る言い訳をして日々を過ごしている。

今回のテーマは
未来のための現在の犠牲
である。

ご褒美戦術の功罪

未来のために頑張ろう。
よくある思考回路だし、頑張る糧だ。
現在と未来の差が人の成長で、成長を楽しみにしている医師は多い。

初期研修が終われば、診療科も決まって、楽しみだ。
毎日忙殺されているし、当直もしんどいが、3年で専門医をとるまでの辛抱だ。

そうして私も過ごしてきた。
しかし現在はこの思考様式はしていない。
この考えは間違っていたとさえ感じたからである。

”未来のために頑張ろう”
診療科や専門医といった”ご褒美”をぶら下げることで
現在という苦境に耐え抜く戦術である。

戦術の末に得られる専門知識や経験は、
楽をしては得られないものなのも事実であろう。
紛れなき功の部分である。

この戦術には避けられない罪の部分がある。

後期レジデント ポン

一旦、私の昔話をしよう。

腎臓領域に身を置いた私は、大学医局の所属となり配属された。
右も左も分からないどころが、前後不覚でさえあった。

他の科の常識なんてわかるわけもなく、
個性豊かな医師たちに翻弄され、罵倒されたこともあった。
不慣れな仕事と、不規則な生活リズムに精神的負担は大きかった。紛れなき苦境だった。

一方で研修医たちと過ごす大学での生活は、得るものも多かった。
翌年に訪れる異動を見据え、環境の変化が負担を取り除いていたのだろう。

その後、地域の中核病院へ配属された私は、専門医のサマリー作成に、部長から降って渡される学会発表に追われていた。
次々と山積みになる仕事に嫌気が差していた。内科、腎臓、透析と3つの専門医を同じ年に取得したわたしは”専門取ればサマリーもなくなるし楽になる”と信じていた。

1.2年が経過し、専門の試験も終わり、サマリーがなくなったのは事実だった。

追われるサマリーもなくなり、専門医取得後の進路を考える。
学びたいこともあり、大学院に進学することにした。

比較的落ちる人もいる試験であったから、準備の一環と兼ねて、英会話を始めた。これがわたしの英語の礎となる。
専門試験と大学院の狭間の楽しい一年だった。

大学院生 ポン

大学院でも想像以上に苦労があった。
研究が好きで好きで、研究職に就く人たちは一つの特殊な能力の持ち主なのだ。

大学院では、また一つ新たな世界が広がったのは間違いない。苦難もあった、そして、長期間続けられる働き方ではなかった。わたしは研究を定住の地とすることはなく、臨床を主とする世界へ舞い戻った。

大学院は幸せだったのか。

わたしは明確な回答を持ち合わせていない。

未来のためにその時を犠牲にしていた側面があった。
またわたしは”学位が取れたらひと段落する”と信じて院生生活を駆け抜けていた。

終わりなきご褒美戦術の継続である。

気づけば、私は”未来のために頑張ろう”を何年も、何年も続けていた。

ふと気づいたのだ。
「わたしの幸せはいつ訪れるのだ?」


専門医というご褒美の次は、博士号というご褒美をぶら下げて
次なる環境を耐え抜くことになる。
過去の未来は現在となり、ふたたび未来を目指して耐え忍ぶ。

ご褒美戦術が終わりを迎えた瞬間だった。

ご褒美戦術のその後

未来の幸せのために現在を犠牲にするのはやめよう。

明確になった瞬間だった。

とても気が楽になった。

  • 現在やりたいことをする、たのしむ

  • 未来のために無理をしない

  • 家族のために自分を犠牲にしない


ご簡単なことだ。

忙しい日々に追われていると、視野が狭くなる。
ごく簡単なことさえ、見えなくなってしまう。

多忙に過ごす皆さん
ふと一息つこう。

全力で走っても、
ジョギングでも
散歩で行っても、目的地にはつくんだよ。

ぽん


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