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〜冬のセーター、消費物〜

洋服の話から始まる。
冬はタートルネックに
デニムがベーシックスタイル

アパレルで働いていたこともあり、
購買欲をそそるトレンド戦略や
関販の単価上げ、
そして服の原価もだいたい分かる。

だから私の中のプライベートな場面に関しては
無駄がなく自分にフィットするものがいい。

でも、時には行く場所や目的に合わせたり、
敬意を表する場合、相手を引き立てる瞬間もある。
そういった様々な神経を使って
「非現実体験」を味わうのも
ワガママな事に、好きだったりする。

冬物の代名詞、セーターは特に毛玉や毛羽立ち、
肌触りの劣化が特に目立ってしまう。

特に私はこういった類に敏感だ。

視覚をはじめ、五感というものはむごい。
例えば、毛羽立ったセーターで汚れた黒い萌え袖をする女子は品の無いライフスタイルを送っているのではないかと考えてしまう。

私自身が
そう勝手に妄想してしまうもんだから、
イチ人間として、品の良さは保ちたいと反面教師になる。

皮やデニムのように「味がある」と呼ばれる
劣化だと嬉しいが、
残念ながら私の好きな冬物達は
読んで字の如く、【劣化】になってしまう。

毛玉を取る時間も好きだが
大体は美しさを蘇らせる事なく終わる為、
「冬物は短命だな〜」と毎年憂いながら
泣く泣く捨てるを選ぶ。

どんなに丁寧に扱っても、
存在するものは劣化する。

例えば今後のライフスタイルのことを
自分に言い聞かせるならば…

今は経済的に
1着何万もするセーターは買えないけど、
〝自分にフィットする〟アイテムが
良い質のまま纏えることで「安心できる」、
そんな生活が送れるようになりたいです。

これが一つの目標でもある

そして物理的な物に限らず
【劣化】したものを
「美しい、身の丈に合う」と感じたら残し、「品格を下げるもの」と感じたら無くしていく。

自分軸で判断できるようにするのも意識付けていきたい。


相手にどう思われるかはもちろん大切。
けれど自分を安心させ、守る事はそれ以上に大切。わたしのことは、わたしで守る。

今でも精神疾患があるのではないか?と
常々感じるほどすっかり歪んでしまったが、
あえて診断書はもらわず、個性と思える心を養おうとしている。

大切な言葉や、心を震わせるフレーズ、
傷付いた時用に勇気付けるワードを集めることが好き

最近は、リアルでもSNSでも
良い出会いが舞い降りてきています。
受け止めるスペース確保用に、毛羽立ったセーターや不要な過去の物は捨てました。

捨てる、というよりバージョンアップ

今週末はまた質のいい体験をする予定なので、
神社に寄って、神様に感謝を伝えたいなと思います。

いい事と困難な事は表裏一体、
傷つきやすさと疲れやすさの弱みを毎日飲み込んで、地に足つけていこうと思う。


衣替えの果てに感じた思いでした。

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