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たおやかに。

自分の寿命がわかればもっと思いっきり無茶なこともできるだろうし、一日一日を良いものにしようと日々頑張れるのかもしれないけど、やっぱそれはなにか違うよなあと。

でも「自分がいつ死ぬかわからないから一日一日を全力で、後悔のないように生きよう」なんていうのは、つかれちゃって。

なんていうかな、こう、SNSに映えるような洗練された生き方ってとても素敵に目には映るのだけれど、いざ自分がそうしようとすると、今まで心から惹かれてたものや景色・奇麗だなと目に留めていた様々なものが一気に色褪せたように興味がなくなってしまう。早朝の柔らかく強い陽が透けるカーテンの色とか、散歩中何気なく見た足元の植物とか、そういうものたちが「"洗練された生活"を形作るものの一部」でしかなくなるのが怖い。

自分の周りで起きたこと・視界にいれたもの・心を動かした、全てが偶然で奇跡で特別な日常でありたい。
昨日何も思わなかったものが今日はとても素敵なものに思えたりしたい。逆があってもいい。
毎日毎日あらゆることに興味を持って、目をくるくる動かして、芝生の上で寝転がって過ごしたい。

とは思うのに、焦燥感にかられる夜はたくさんの「たられば」と僅かな後悔がちくちく身体の内側を攻撃してくるから、つい、なんでもっと頑張れなかったんだろうってその日の自分を責めてしまう。すると「一日一日をもっと頑張らなきゃ」っていう意識高い自分が表れて、また冒頭へもどる。堂々巡り。

…どんな自分も受け入れられる、たおやかな気持ちで穏やかに生きていきたい。そしていつか、突然にふわりと死にたい。むずかしいね。

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