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人生と愛の煙。

花は散り、月は沈み、砂時計は重力に従い落ちる。この世のすべては刹那の夢のごとく、あっという間に消え落ちていく。

文字通りあっという間に消えるものもあれば、川の流れに削られる岩壁のように長い年月をかけて崩れ消えるものもある。


落ちる、消える、崩れる、自然界のだいたいの消失という事象の要因は「重力」によるところが多そうだ。花が散るのも、月も、砂時計も、重力の影響で落ち消える。

なぜなら体積があるから。


...

月はいつから地球の周りを公転しているんだろう。だいぶと古そうだ。家の中にある古いものを思い浮かべると、洋服や爪切り、腕時計が思い浮かぶがどれも100年の時を超えてはいない。せいぜいいっても50年。

こう考えると、月というのはかなり古いもので、私たちは毎夜、とてつもなく古いものを空の中に見ているのだなぁ。月の体積はとんでもなさそうだし。



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月はこの先も夜空にずっと浮かんでいるだろうが、私という人間はずっとは存在できない。

私も妻も、家族も親せきも、友人も知人もいつかは消えていなくなり、なかったことになる。

私の場合、4代前の自分の先祖を知らない。由緒正しき家でもないし、家系図があるわけでもないから祖先が何をしていたのかなんぞ知らない。

現代に生きる私は4代前を知りたいなぁと思うものだが、4代前の直系のだれかが「4代先の子はどんな子だろう」と考えていたとは思えない。


近所を歩いていると「家系図つくります」というポスターが貼ってあった。おや、と思って足を止め見つめると「幕末からさかのぼれます」と書いてある。

足りない。

平安くらいまでさかのぼってほしい。たとえ平安までさかのぼれたとしても、月の古さには及ぶべくもないし、祖先が何を考えていたのかを知るすべもないが。


...

自然界の多くのものは、重力に従って落ちて消えていくと書いたが、もしも私がこの世から消えるときがくるとしたら、下に落ちるのではなく上に昇って消えたい。まさしく昇天。仏壇の線香の煙のようにゆったりと昇って消えたい。



人の世に永遠はなく、希望が叶うこともほばない。全て自然の摂理に従う。いまを生きている私たちはだいぶと自然の摂理に反するようにがんばってツッパリながら生きているような。


精一杯、今を今と受け入れるのみ。過ぎ去った日々を悼まず、来るべき明日を待ち焦がれず、ただ今ここにある喜びと愛を全身で味わうこと。

誰かとの比較の中に生きず、ただ無常の世に生きること。愛すべきを愛するみたいな。


自然界のだいたいのものは体積があるからこそ落ちて崩れて消えていく。逆に言えば、人生も愛も目に見えるものではないわけだから、当然体積は存在しない。人生と愛には体積がないのだ。

ということは、私がいつか終わるときがくるとしたら、きっと下には落ちずに上に昇って終われる。

煙のように終われるかもしれない。

なんだ、希望は叶いそうじゃないか。


〈あとがき〉
あぶねー。今日はとても忙しくて文章を書く時間がなかったので、この記事は昨夜ベッドの中で書きました。タイトルをどうしようかとても悩むような内容です。重力って言葉を使いたいだけの自分もいますし、よく考えると煙のように終わる物体って意外とあるよなぁと思って矛盾を感じたりします。今日も最後までありがとうございました。

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