見出し画像

何もしない日がほしい。

何もしない日がない気がする。

常に何かを考えている。今年作った会社を軌道にのせるために顧客開拓を急ぐ。ずっと同じことをやっていたら飽きちゃうので、まだ世の中にないサービスを作りたい。



そんな中で、あるアイデアがあったから、
だれかに相談したいと思った。

パッと頭に浮かんだのはティンバーズの林太郎くんだった。彼とはnoteをきっかけに知り合った。林太郎くんは札幌出身で東京在住の起業家だ。

彼とはすでに対面で2回会っていて、LINEも知っている。私個人としては彼のことはマブダチだと思っているフシがある。

だから「こんなアイデアがあるから話を聞いてほしい」とLINEしたら、すぐに日程を調整してリモートで話すことになった。


林太郎くんは元気そうだった。久しぶりである。リモートで画面が繋がって開口一番で「ダーキさん、お元気ですか?」といつもの口調で言うもんだから「元気、元気〜」と返す。

林太郎ならではの的確な助言が飛び出る。林太郎くんは話していておもしろい。愉快だ。たしかにたしかに、と話が膨らむ。彼に感謝。

頭の中にあるアイデアを形にするかどうかは、私の行動力次第だが、果たして。



行く行く詐欺をしているが、
ゆくゆくは毎月1回は東京へ行きたい。


先日、我が社の社長が出張で東京へ行った。仕事、稼ぐ、上場、スタートアップ、新サービス、この社会の歯車。札幌に戻った彼が私に言ったのは、

「なぁ、ダーキ、ぬるま湯というやつだよ、札幌ここは」


「あ〜、まあわかるけど、詳しくいうと?」と聞くと、よくある話、東京のスピード感やギラギラ感についての話で、私たちが活動する札幌のトロさについての話だった。

「まあまあデキてる感じはするけど、こんなのあっちに比べたら全然およばないよ。俺たちにはギラつきが足りないかもしれない」

ということで、まぁ、そうだよね、と。

だってギラついてないもん。別に新進気鋭の起業家みたいに思われたい欲もないし。上場したいね、って話もあるにはあるかもしれないけど、じゃあ東証プライムに名前を連ねましょう、って器じゃない。

出たとて札幌証券取引所レベルかもしれない。そのはるか手前で失速するってこともあるじゃないか。いや、失速はないか。だって私が副社長だし。

こういうところで、器じゃない、と言っちゃうのもダメだな。たとえば「私と一緒に働こう、フルリモートでいいよ」と言ったとして、手を挙げてくれる方がこの世界にどれだけいるんだろうか。





今日で33歳になった。今年の5月に会社を作って、もうすぐ半年になる。この間、というか今年の1月からお酒をまったく飲んでいない。

ゲームもしない。高級食材も食べていないし、旅行にも行ってない。出張で福岡に行けばペペロンチーノを食べる。愛知に行けばコンビニ弁当を食べる。

毎日休む間もなく、noteを書き、たまに音声配信をやってダベり、どこかに登壇して喋り、だれかに会い、事業を説明し、契約を締結し、家に帰り、妻と話し、寝る。

何もしない日がない気がする。

……だからそろそろ、この心の緊張の糸がプツンと切れてしまう気がする。








はずがない。

切れるはずがない。

こんなに毎日愉快で、ゲラゲラ笑っている日々に緊張の糸もクソもない。

毎日休む間もなく、noteを書き、たまに音声配信をやってダベり、どこかに登壇して喋り、だれかに会い、事業を説明し、契約を締結し、家に帰り、妻と話し、寝る。


この人生はだれにも譲れない。

今日で33歳になった。今年の5月に会社を作って、もうすぐ半年になる。この間、お酒をまったく飲んでいない。

ゲームもしない。高級食材も食べていないし、旅行にも行ってない。出張で福岡に行けばペペロンチーノを食べる。愛知に行けばコンビニ弁当を食べる。

常に何かを考えている。

今年作った会社を軌道にのせるために顧客開拓を急ぐ。仕事の過程はどうでもいい。結果を残すのみ。だから、めちゃくちゃ地味な日々の繰り返し。

そう、地味なのだ。地味な毎日の中に楽しみを発見しようとしているだけのこと。とにかく地味。でも、地味こそアートだ。


こんな楽しいことが他にあるだろうか。

この人生はだれにも譲りたくない。


札幌がぬるま湯だとしても、私はアツアツだ。noteも愉快だ。音声配信ほど楽しいこともない。これにYouTubeや他ツールも加わったら、私は楽しすぎて溶けてしまうかもしれない。

さらにここに自分の子どもが加わったら?
激アツだ。糸を引いてとろけそうだ。




なにも考えずに、家でぼーっとして、呪術廻戦の考察を考えたり、ONE PIECEの正体がなんなのかを考えたり、チェンソーマンの続きを読んだり。

アニメを見たり映画を見たりドラマを見たり、そうするのもいい。友だちと予定を合わせて、知らない子どもたちと一緒にキャンプに行ってもいい。むしろそれもめちゃくちゃ楽しそうだ。


が、私がもっとおもしろいと感じられる事柄が、この世界にたしかにあると知っている。



私は大学に7年通った。

何もやることがなくて、というか、何をやりたいかわからなくて毎日とてもつらかった。何かに熱中できる人をうらやましく思っていた。私も我を忘れて何かに熱中したかった。だれかと話したかった。知らないだれかと好きなことを語り合いたかった。

でも、できなかった。

見つけられなかった。

7年かかった。


いま。33歳になっていま。

たしかに何もしない日がほしい気がする。

でも、何もしない日が続いていくことのつらさを私は知っている。何もしない7年を知っているから、何もしない日はなくてもいい。


いまの私がどれだけ楽しいか。

この楽しさは、いつもここで文章をお読みくださるみなさんのおかげである。音声配信を聴いてくださるみなさんのおかげである。いつも親切にしてくださる全国のみなさんのおかげである。



こんな日々が、少なくともあと100年。
ずっと続けばいいな、と思っている。


<あとがき>
あの7年があったからこそ、悩める人の気持ちがほんの少しだけ分かるのです。他人が妥協するときに妥協しない人をうらやましく思います。逃げる、ということを正当化してももちろんいいのですが、そこから生まれるのは自己嫌悪だけで、結局は筋トレ同様、苦しいことを繰り返すしかないのです。そうすれば周りの私を見る目が変わる、と。今日も最後までありがとうございました。

【関連】この人は何をしてる人なの?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?